紳也特急 10号

~今月のテーマ『セックスは本能的なコミュニケーション』~

○『現代の若者のコミュニケーション手段』
●『セックスこそもっとも簡単なコミュニケーション』
○『セックスをするなと言うかわりに』
●『コンドームを生活習慣に』
○『vol,9続きCAI女性スタッフより』

◆CAIより今月のコラム「恋するテツガク」

———————————————————————
「神様がくれたHIV」
 現役の保健婦として、積極的にHIVに関する活動を展開されている北山翔子さん(ペンネーム)が5月29日に紀伊國屋書店から本(1600円+税)を出されました。彼女は恋人とのセックスでHIVに感染しました。彼女とメールでやりとりしている時に、当事者である彼女に「セックスは本能的なコミュニケーションの手段である」と思うんだけどどう思いますかというメールを送りました。「本能的なコミュニケーションということば、よくわかります。いい表現ですね。」と言われたのに気をよくして、

今回のテーマは「セックスは本能的なコミュニケーション」

●『セックスは本能的なコミュニケーション』
 「人はどうしてセックスをするのか」と聞かれた時に、「男は射精欲、女性はいろいろ」と説明してきました。しかし、もっとスッキリした説明ができないものかと思っていたところ「本能的なコミュニケーション」という言葉がひらめきました。男である私は射精したいし、射精するためにセックスをしているところもあります。でも、それだけならオナニーでもいい。なぜパートナーを求めてセックスをするのか。一人よりいい、自分と相手の体を合わせる心地よさ、相手のぬくもりの心地よさ、裸で抱き合っている幸せ感、独占しているという満足感。どれも相手とのコミュニケーション、触れ合いを求めてのことです。セックスは、理屈ぬき、ぶっつけ本番、学習抜きでできるコミュニケーション、本能的なコミュニケーションです。

○『現代の若者のコミュニケーション手段』
 人って他人とのコミュニケーションなしで健康に生きることはできません。誰かと何らかのコミュニケーションを持っていないと淋しいですよね。そしてその淋しさを解消するために自分が持っているコミュニケーション手段を駆使します。コミュニケーション手段は、会話、挨拶、会食、新聞、本、テレビ、ラジオ、メール、インターネット、仕事、等々、いろいろです。セックスもコミュニケーション手段の1つです。現代の若者のコミュニケーション手段は、かつてのような友達、親や周囲の人との会話が減り、メール、ゲーム、カラオケ、そしてセックス、等が増えています。誰かと触れ合っていないと不安。そしていつも携帯・PHSとにらめっこしてメールを待っています。

●『セックスこそもっとも簡単なコミュニケーション』
 人はセックスを通してコミュニケーションをしています。恋人同士には、「好き」、「愛している」、「○○楽しいね」といった会話もあるでしょうが、言葉で埋められないものが出てきた時にセックスで埋めることもありませんか。会話以外の手段で相手と触れ合いたいっていう気持が起きたとき、五感を駆使して相手と触れ合おうとするのがセックス。若い世代がセックスに走るのは「本能的な手段」を抑制し、それを超える「理性的(?)な手段」が弱い、苦手、さらに言えば自分自身で自分を満たす力も弱いから?
 セックスは相手と許しあい、受け入れるという自己表現であり、相手を体で感じるコミュニケーション手段です。人がセックスをするのは相手とのコミュニケーションを図る一番簡単な手段だからではないでしょうか。恋愛では恋人との関係を感じる手段、結婚していればお互いを確認しあう手段、浮気であればその瞬間を確認しあう手段。もちろん会話でもコミュニケーションは図れるでしょうがそれだけでは「何か」が埋められません。

○『セックスをするなと言うかわりに』
 人間はコミュニケーションの手段として言語、会話を身につけましたが、会話には言葉を必要としています。語彙がなければうまく自分の思いを伝えられない。コミュニケーション手段が少ないほど、コミュニケーションを求めている人が(本能的な手段である)セックスをするチャンスがあったらするのではないでしょうか。
 逆にセックスを回避するためには他のいろんなコミュニケーション手段を覚える必要があります。学校では学力重視のため一方的な授業が多くなり、家庭では核家族化、共働き、塾、等のため会話が乏しくなっています。一緒に食事をする時のコミュニケーションって食欲が満たされ、おしゃべりが楽しく、満腹の気持ちよさで気がついたら眠くなってセックスなんて今はいらないと思うのかもしれません。

●『コンドームを生活習慣に』
 食事の前に手を洗いますよね。でも、それは清潔のためですか。皆さんがしている手洗いは気休め程度のものです。汚れた手で蛇口をひねった後に手を洗います。手を洗った結果多くの菌は流されたでしょう。しかし、そのきれいな手で自分が汚した蛇口を締めた結果再び手に戻った菌もあります。シートベルトを締めている時に交通事故を予防しようと思っていますか。少なくとも私は反射的に締めています。
 セックスも理屈じゃないし、避妊や性感染症予防も理屈通りには行きません。本能的な手段に訴えている時に「STDになりたくなければコンドームをつけよう」というのはほとんど効果が期待できません。コンドームが機能を発揮するには手洗いと同じように生活習慣として当たり前のことというPRが必要です。女の子には妊娠を題材に「気をつけよう、その一滴で子ができる」、「するなら入れよう(女性用)コンドーム」と膣外射精の問題を呼びかけ、男子には「立ったら着けよう(男性用)コンドーム」ということを繰り返しすり込みます。シンプルかつ効果的なメッセージを繰り返し伝えることで、結果的に性感染症予防を図ることが重要だと思っています。本能的な行動の時には「愛の印がコンドーム」というように反射的な動機付けが必要と思っています。どう思われますか?

追伸:CAIのホームページでも紹介している女性用コンドームに関するご意見、使用感想を教えて下さい。

○『vol,9続きCAI女性スタッフより』

CAIの女性スタッフに質問します(くたばれ専業主婦様より)。
 彼氏が、訳知り顔で「そういう言い方するのは、生理前後だから怒りっぽいんだろ?」って発言したら、どう思いますか?
 時と場合にもよるでしょうけど、相手に対して真剣に意見したい時とか、冷静に考えた上で言ってる時にも、そういう風に受け取られるのって馬鹿にされてるみたいで、嫌だなと思うんですけど?
 私は夫に対して、生理前だろうが、後だろうが、ケンカを売る時は、冷静に売ります。

ご質問に対して私的な感想です(CAI女性スタッフより)。
 私自身が相手からそのような言葉を返されたら、もちろん傷付きます。 怒りで逆上するかもしれません。 ですが、正直なところ月経が原因で普段は気にもならないような、 本当はどうでもいいような些細なことに、 怒りが押さえきれないこともあるのです。
 これがヒステリーだと思うんですが。そんな時に売った喧嘩を真正面から買われると、 勝っても罪悪感ですっきりしないし、 負けた時には、気持ちの逃げ場がなくなってしまうし….。だから、喧嘩を売っていながらも、相手には軽く受け流してくれると 助かるんだけどなぁ、と思う時は確かにあります。 逆に貴方のおっしゃるとおり、 怒りを受け止めて、真剣に話をきいて欲しいと思う場合もあります。 岩室先生が書いていたのは、相手のそういう気持ちを察してやれ、 と、いうことだと私は受け取りましたが、どうでしょうか?

もう一つ(くたばれ専業主婦様より)、
『男女雇用機会均等法により、「生理休暇」が認められなくなった事実もお察し下さい。「掃除当番をかわって欲しい」と頼んでしまうという事は、男と同じように仕事を頑張ってきた先輩女性達の努力を逆行させてしまう事にはなりませんか?』

この意見に対しては(CAI女性スタッフより)、
 女性として、はっきりと反論しなくてはと思います。 生理休暇が認められないからこそ、生理中にその人にとって、身体に負担がかかり過ぎる苛酷な 労働は、(男性に限らず)周囲の人がフォローするべきなのではないでしょうか。体質によっては普通に掃除をすることですら、辛い状態の方もいるのです。
 私の場合、幸いにも職場の男性が理解があるため、生理中に体力を酷使する仕事は、頼めば快く手伝って貰える環境にあります。甘え過ぎてはいけませんが、無理をすることによって 結果的には周りに迷惑をかけてしまう事態を、 未然に防ぐのは、男女に関係なく「働く大人」としての責任だと思っています。具合が悪い男の子がいれば、代わりに女の子に掃除を頼んでもいいのだし、何もそんなに肩ひじはることはないのではないでしょうか。

◆CAI編集者より今月のコラム
「恋するテツガク」

 僕には今、好きな人がいる。その彼は、僕と同じ研究科で、週に4回顔を合わせる。僕と彼は、いわゆる「世間一般」が見れば「親友」以外の何ものでもないのだろう。でも研究科のみんなは、僕がゲイだということも知っていて、彼のことが好きだということも知っている。僕がわざとみんなに言ったのだ。僕と彼の仲を取り持ってもらおうと思って。彼のことを好きだって知らないのは、その彼当人だけ(だと思う・・・)。
 いくら授業がつまらなくっても、毎日生きるのが面倒臭くっても、僕は彼と話ができるだけで、その日一日幸せだ。だから週末、彼と会えない日は、何をやってもつまらない。授業の宿題をしていないのに、早く彼と会える火曜日が来てほしいと思う。でもこの前の日曜日、授業以外にはじめて彼と会った。僕は彼と何人かの友達と一緒に、温泉に行ったのだ。僕はますます彼のことが好きになった(?)。
 本当は、もっと仲良くなりたい。もっと一緒に長い時間を過ごしたい。一緒に暮らした。もちろん、セックスもしたい。でも、僕は知っている。もしかしたら、今の関係が一番幸せなんじゃないかっていうことを。好きだって告白したらふられるかもしれないとか、彼がO.K.って言ったらすぐにセックスもできるかもしれないとか、そういう単純な問題じゃない。もしすぐに大好きな彼とセックスができたとしても、僕は本当に満足できるだろうか? これは僕自身が、人とどういう関係を築いて、自分にとって「幸せだ」という気持ちをどれだけ強くしていくことができるのか? という問題なのだ。僕は今、このつらいけど幸せだっていう状況を、もっと最大限に持続させていきたいって思っている。今の世の中
一見すると何でもすぐに手に入ると思ってしまうけど、それだけじゃないということも、最近になってやっと分かってきたような気がする。もし僕が、彼と本当に気持ちのいいセックスができるのなら、そのときは最大限の、死んでもいいって思えるくらいの快楽が欲しい。それは、とっても難しい事って分かっているんだけど。たかが恋愛、されど恋愛。読者の皆さんは、単なるのろけ話と思うのかもしれないけど、僕にとってはとっても深刻な問題なのだ。
 友達は僕のことを、何かと惚れっぽい男だと言う。でも、恋愛がないと生きるエネルギーが半減してしまうのだと僕は思う。ちょっと恥ずかしいけど、それが僕の根本的な本能であり、僕を支えるテクガクなのかもしれない。そして、エイズっていう難しい問題を考えるときに、このテツガクが何かの考えるきっかけになったりしないだろうか?
                            新人A.S