紳也特急 112号

~今月のテーマ『悪者をつくらない』~

●『人と人をつなぐもの』
○『HIVは悪者?』
●『悪者のつくり方』
○『悪者がいると楽』
●『スローガンは悪者づくり?』
○『悪者をつくらないために』

…………………………………………………………………………………………

●『人と人をつなぐもの』
A子:以前AIDS検査を受けて異常なかったのですが、その後も同じ男性としていたなら、ゴムつけてなくても感染する率は低いですか?
岩室:彼に聞いてみてくださいね。私は彼の行動はわかりませんよ。
A子:わからなければ、やはり定期的に検査を受けるべきなんでしょうか?
岩室:あなたは感染するまで検査を受けるのですか?それとも感染しないために行動を起こしたいのですか?質問の意味がわかりません????
A子:そうですよね。やっと理解しました。くだらない質問に返してくださっ 、ありがとうございました。
 同じような、ごく初歩的なことが分かっていない質問が次から次へと来ます。「ホームページを読んでから質問しなさい」と返したくなることもしばしばです。しかし、このようなやり取りをしながらよく思い出すのが「考えることを放棄しない」という女子高校生の言葉です。人は一人で考えることができない存在なので人間=人と人との間に生きているのでしょう。HPから寄せられる質問は、単に疑問というだけではなく、誰かとつながりたいというメッセージのように思うことがあります。自分がつらい状況を投げかけることで相手をつなぎとめようとするメッセージなのかもしれません。
 確かに「ちゃんと勉強してよ」とか「誰に教わったの」と文句を言ったり、誰かに責任を押し付けたり、「わかっていないあなたは何者?」と自己責任を求めたりするのは簡単です。でもそのような態度では何も解決しませんが、ついそう言いたくなる私に素敵な言葉をくださった方がいます。
 「先生のお話の中には悪者がいない、誰かのせいにしない。現状を受け止めて、そこからしていくべきことをしよう、乗り越えようという姿勢が好きです。」
 このような言葉をもらうと、くじけそうな自分を立て直せるものですね。私の話に悪者がいないのはどうしてでしょうか。私からみると悪者はいるのではなくつくられるものだと気付かされました。そこで今月の言葉を「悪者をつくらない」としました。

『悪者をつくらない』

○『HIVは悪者?』
 今年のエイズ学会ではHIVに感染している方が地域で訪問看護、入浴、リハビリ、ショートステイ、ディケアといったサービスを受けながら生活するために拠点病院の役割が何かを発表していました。「サービス提供者の方々がHIVに感染している方と接しても感染することはありません。しかし、何となく不安だったりするためHIVに関する勉強会をすることが効果的でした」と発表したところ、「どのような勉強会が効果的なのでしょうか」という質問をされました。とっさのことだったので、「私は自分がはじめてHIVに感染している人と握手をしてパニックになったことや、病院の中でも皮膚が全く見えない状態に予防衣だけではなくマスクやゴーグルをしていた人もいましたという実例をしています」と答えていました。実際にそうなのですが、このように話した時に不思議なことにHIVが悪者から逆に理解されない被害者になっていることに初めて気づきました。

●『悪者のつくり方』
 「愛」の反対は「無関心」ですが、「悪」の反対は「正義」なのでしょうか。では正義って何でしょうか。昔流行ったマンガに正義の味方が悪魔たちと戦うといった構図が多く、やっつけろと思いながら読んだものでした。繰り返される飲酒運転や殺人事件、海外でのテロや戦争はどれもとんでもなく「悪いこと」です。確かに一人ひとりがやったことは許されないことばかりですが、「あの人たちが悪い」と決めつけて、あの人たちだけの責任にしてしまうことで正義と悪者というわかりやすい構図ができあがります。しかし、悪者をつくるだけでことが解決するはずがありません。
 「テロとは断固として戦う」と言う言葉を聞くと、自爆テロで自らの命を投げ出している子どもたちのことを思い出します。あの子たちを自爆テロに走らせている背景と、若者を神風特攻隊に送り込んだ昔の日本とどこが違うのだろうか。誰が、何がこのような状況を生んでしまったのかと考えてしまいます。原因の原因の原因をたどっていけば、私たち一人ひとりが関わっているこの社会に様々な問題があることに気付かされます。

○『悪者がいると楽』
 お酒の販売を全面的に禁止するか、自動車やバイクの販売を禁止すれば飲酒運転はなくなります。しかし、それではお酒でいい気持になることを望んでいる多くの国民の理解は得られません。車社会から今さら逆戻りはできません。だからといって必ず一定割合で存在する飲酒運転をする人を悪者にすることで自分自身の気持ちを楽にしていいのでしょうか。「社会が悪い」となると自分もその一員なので自分も責められ、自分の無力さに苛まれ、自分自身がつらくなるため、他の誰かを悪者にして自分が楽になろうとしていないでしょうか。
 厚生労働省のトップだった方やそのご家族が死傷するという事件がありましたが、昨今のマスコミ報道を見ていると、本質、本当の課題を追及するのではなく、短絡的に「あいつが悪い」と決めつけているように思えてなりません。それをまた真に受ける人がいると今回のような事件に発展してしまう怖い世の中になってしまいました。
 しかし、「世の中」や「社会」という抽象的な、つかみどころのない相手を悪者にしても、いま一つ実態がつかめない、イメージしにくい相手のため、何となく批判の矛先が鈍ってしまいます。世間の関心が得られなければ、新聞の購買数もテレビの視聴率もアップしないので、各社は意図的に悪者をつくっているようにも思えます。よく、「あの新聞は何寄り」ということが言われますが、それぞれの主張の矛先に悪者をつくることで読み手の、視聴者の関心を引いているというのは逆に怖いことですね。

●『スローガンは悪者づくり?』
 HIV/AIDSの普及啓発に取り組んでいる方と話した時に、「『命を大切にしよう』とか『相手を思いやろう』といったスローガンを言うのは楽だけど、こころに響くものが少ないですよね」と話したところ、「岩室先生のようにカリスマ性がある人はいいけど、そうではない人からスローガンをとったらHIV/AIDSの普及啓発はできない」といったことを言われました。
 確かに私は講演会を数多くこなし、それなりに聴衆が聴きたくなるような話ができるように訓練を積み重ねてきました。しかし、「カリスマ」と言われるようなことではなく、それこそ誰でも、一定のトレーニングを積めばできることだというのは実際に私のセンターの研修会の受講生の変化からも明らかです。
 学校というところで「命を大切にしよう」と言わなければならないのはわかりますが、一人ひとりの生き方を振り返れば、そのような大それたことは自分を棚に上げないと言えませんよね。毎晩アルコール漬けになっている岩室紳也はとても自分の命を大切にしているとは言えません。仕事ばかりで家を空け、家にいても原稿に追われていることが多く、奥さんを大事にしているとは到底言えない私が「相手を思いやろう」なんて恥ずかしくて言えません。しかし、どのように性教育をすればいいかを深く考えていないとまずは悪者(病原体やコンドームなしでセックスをする人)にたどり着き、その悪に加担しないようにしましょうというスローガンを伝えようとするようです。そしてそのスローガンの結果、スローガンを達成できない人たちは悪者になってはいないでしょうか。
 釧路労災病院の宮城島先生がエイズ学会やイルファー釧路通信でHIVに感染している人が「『いきなりエイズ』という言葉が嫌いです。この言葉を聞くと、奈落の底に突き落とされるような気がするんです。だからかえって検査に行くのをためらう仲間が多い」と話していたと紹介されました。「検査を受けない悪者」というレッテルは確かに自分の行動を後押ししてくれるとは思えません。

○『悪者をつくらないために』
 自分を語ること。事例を語ること。人と人との関係性を語ること。これを実践していると、実はいろんな失敗やつらい経験をしている人が登場します。確かにその人を切り捨てて終わりという人もいるでしょうが、そのような話を、事例を聞くと、多くの人は「そうだよね。私にもあり得るよね。」とやさしくなれます。「HIVは感染力が弱いウイルスです」と話すよりも「HIVを持っている人と握手をして、その人の汗の中のHIVを意識した瞬間、握手をしていた岩室紳也医師はパニックに陥りました」という事件を紹介した方が、「馬鹿な医者」と「理解されないHIV」という不思議な、悪者がつくられない話になります。
 先月、週刊少年マガジンでHIV/AIDSを取り上げてくれましたが、その話のモデルになったのは実在する患者さんでした。実際にHIVに感染している一人ひとりの方と接していると、そこには一人の悪者もいません。しかし、いざ啓発活動となるとどうして「コンドームが使えない人」、「検査を受けない人」といった悪者がいっぱい登場するのでしょうか。こころに響く啓発活動をするコツは実は簡単なことだったのですね。悪者をつくらない。これからもそう心がけたいと思いました。