紳也特急 113号

~今月のテーマ『感謝』~

●『岩室先生でよかった』
○『神様にいただく試練』
●『いいじゃない いいんだよ』
○『飯島愛さんに感謝』
●『宗教との出会いに感謝』

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●『岩室先生でよかった』
 今だから書けることですが、「岩室先生でよかった」と言って私の外来に来た初診の患者さんがいました。「私のことをご存じなのですか」と聞くと、「先生、私の高校に講演に来てくれましたよね」とのこと。話を詳しく聞くと確かにその高校に講演に行ったことがありました。「岩室先生は『この中にゲイの子はいるよね』と言ってくれましたよね。実は僕はゲイです。でも当時はそのことが理解できないというか、受け入れられなかったので先生の言葉はうれしかったです」
 そう言われて悪い気はしなかったものの、私の話を聞いていたにも関わらずHIVに感染した人がいたことは私にとってショックでした。性教育、エイズ教育はちゃんと評価しないとだめと言い切る人からすれば「岩室紳也の話はその人をHIV感染から守ることができなかったので意味がない話だ」と言うことになるのかもしれません。事実私もそのような思いになりました。こんなかっこ悪いことは人に言えないと思ってずっと話せずにいました。しかしある時、HIVに感染している友人のパトリックにこのエピソードを紹介したら、いとも簡単に「彼にとって岩室先生にかかれただけよかったじゃない」と言われて目から鱗でした。
 同じ事象でも、見る人によって見方も評価の仕方も変わってくるということがわかっていても、いざ自分にとってつらい、あって欲しくないことが起きると人はパニックになり、冷静な判断ができないものですね。今回、あらためていろんな人とつながる中で支えられていることに感謝を込めて、2009年最初のテーマを「感謝」としました。

『感謝』

○『神様にいただく試練』
 「神様はあなたが乗り越えられるだけの苦労をお与えになるのよ」
 「神様がくれたHIV」の著者の北山翔子さんが、自分自身がHIVに感染していることを告白した時にアフリカ人のお友達から言われた言葉として本や講演等の中で紹介されています。生きていると様々なことが起こりますが、そのことがあまりにも辛いことだと「どうして私だけが」とか、「何も悪いことをしていないのに」という思いになりがちです。そんな時に「神様がくれた試練」、「神様にいただく試練」という受け止め方ができると少しだけでも楽な気持でその試練に向き合えるのかもしれません。
 私が外来で出会う患者さんやご家族の方たちは本当にいろんな試練と向き合われています。しかし、その事実と向き合うしかない時に、その人が一人で、家族だけで孤立しているとなかなか「神様がくれた試練」という視点には立てません。しかし、誰かがそばに寄り添っていれば何とか乗り越えられるのではないでしょうか。「神様はあなたが乗り越えられるだけの苦労をお与えになるのよ」という言葉もさることながら、北山翔子さんのそばに寄り添ってくださったお友達の存在が彼女を支えてくれたのでしょうね。そしてこの言葉を教えてもらった私も、この言葉を通していろんな試練と向き合えるようになったことに感謝です。

●『いいじゃない いいんだよ』
 「今、私には友達以上恋人未満の1つ年上の彼がいます。彼はセックスの際、避妊をしてくれることはありません。元カノとはずっと生だった、でも妊娠しなかった。それにコンドームをつけたら気持ち良くないというのが彼の言い分です。私は彼の元カノが妊娠しなかったのはたまたまだと思うし、関係が続いている今でもコンドームはつけて欲しいと感じています。でも、実際セックスの場になると雰囲気に流されてしまったり、彼の言葉に負けて生でのセックスになってしまいます。普段も私には暴言ばかりで、「キモイ」「死んだら?」は日常茶飯事です。でも、メールでは甘えてきます。暴言の裏には私だからこそ気を許す姿があったり、うまく言えませんが、私を愛してくれているのは分かるんです。でも、付き合ってはいません。友達以上、恋人未満。そんな関係がもう2年近く続いています。これだけ続くともう避妊をしないことが私の中でも当たり前になってしまっているんです。友達には縁を切れと言われますが切れません。どうしていいのか分からず、話を聞いてもらいたくてメールを打ってしまいました。」
 あり得ない。別れなさい。とんでもない男だ。そもそもセックスをしているのに付き合っていないってどういうこと。そう切り捨てるのは簡単です。しかし、答えは彼女の中にしかありません。私が返したメールは、実は彼女に送ったものではなく、もしかしたら自分に送ったものだったように思えてなりません。
 「いいじゃない いいんだよ」
 このメールを通して、水谷修さん、小国綾子さんと書いたこの本は、実は書いた三人が、読者の方々に送ったメッセージではなく、自分たち自身にあてたメッセージだったことを気づかせてもらいました。メールをくれたあなたに感謝です。

○『飯島愛さんに感謝』
 芸能界を引退していた飯島愛さんが亡くなられました。初めて飯島愛さんとご一緒させていただいたのは2003年12月1日新宿東口アルタの前の広場でのイベントでした。そこで世界エイズデーのキャンペーンを一緒にやらせてもらい、道行く人を引き付ける飯島愛さんの力と思いを目の当たりにさせてもらいました。性感染症やHIV/AIDS予防に強い思いをお持ちで、2004年のAIDS文化フォーラム in 横浜に来ていただけないかとお願いしたところボランティアで2年連続参加してくださいました。発言内容については賛否両論がありましたが、テレビ番組の中でもエイズに関する発言を積極的にするなど、HIV/AIDSに関わっている私にとっては大きな応援団でした。彼女から私の携帯に直接電話が入ることもあり、いずれまた元気になってAIDS文化フォーラム in 横浜に来てもらったり、芸能界に復帰してHIV/AIDSに関わるメッセージをもらえればと思っていただけに今回亡くなられたことは本当に残念です。ご冥福をお祈りすると共に、あらためて素敵な出会いに感謝したいと思います。

●『宗教との出会いに感謝』
 AIDS文化フォーラム in 横浜で「宗教とエイズ」というプログラムを通して宗教に何となく関心が向く中で、今年の1月には京都の西本願寺で話をする機会を、2月には飛騨千光寺の大下大圓さんと話す機会をいただいています。「神様はあなたが乗り越えられるだけの苦労をお与えになるのよ」という言葉を反芻していた時にふと「初七日」を大切にしていない今のお葬式のことが頭に浮かびました。
 親族の死をきっかけにこころを病んでしまった人は少なくないのですが、その喪失感を埋めてくれるのが宗教行事ではないでしょうか。最近は何周忌、何回忌といったこともないがしろにされていますが、そのような機会に集まることで生きているありがたさを実感したり、誰かが亡くなってもお互いが支えあうことの大切さを確認できるはずです。人が一番ショックなお葬式を出した数日後に初七日を行うのは、ショックを受けている人を癒す、そして将来自分がその立場になった時にショックに押しつぶされないように心の準備をする場として用意されていたはずです。しかし、忙しい現代社会ではすばらしい癒しの機会をお坊さんまでもが放棄し、お葬式の日に初七日を済ませています。どこか変だと思いませんか
 53年も生きているといろんな出会いをいただきながら何とかここまで来ることができました。自分自身の気づきを少しでも多くの人と共有できればと思い、今年もいろんなことにチャレンジし続けたいと思います。このメルマガを読んでくださっている皆さんに感謝です。
 今年もよろしくお願いします。