紳也特急 114号

~今月のテーマ『「性感染症」という変な言葉』~

●『1年後の感想』
○『「性感染症」の定義、由来は?』
●『専門家が勝手に決めた「性感染症」』
○『STDとSTIの正確な翻訳は?』
●『言葉を使う目的が大事』
○『HIVとの向き合い方』
●『HPVとの向き合い方』
○『正確な理解のために』
●『HIVもHPVもクラミジアも別のもの』

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●『1年後の感想』
 岩室紳也の講演を聞いた1年後に生徒さんに残っていることは何かを聞いてくれた先生がいました。

・大人である僕は新しい知識を得ることは少なかったが、岩室先生の話は面白く、特に女の子との付き合い方について考えさせられた。友達は岩室先生の話を聞いて初めてオナニーをしたと言っていたので、人によって違うものだと思った。

・この前やったゲームで、男女が性交する際に避妊をしていなかった。男女とも初めてのことらしいが責任や危機感というものがないのだろうか、と思った。また、漫画でも男同士がコンドームをつけずに性交していた。やはり危ないのではないか。

・18歳禁のパソコンゲームやアダルトビデオを見ると、岩室先生の話していた性交する上での注意点が全く行われていないことに気づいた。架空の出来事と現実の事はごっちゃにしてはいけないと改めて感じた。

 私の話で何かがこころに引っ掛かり、それを1年かけて自分のものにしていってくれているとうれしく思いました。私が若者たちに性を語る時、基本的にPowerPointを使わずに言葉だけで物事を伝えようとしていますが、その「言葉」が混乱していると思いが伝わらないばかりか、誤解や偏見が広がるものです。性行為で感染するHPV(ヒトパピローマウイルス)が原因で子宮頸がんになることがわかり、HPVのワクチンも開発されて注目が集まっていますが、「HPVは性感染症か否か」という論争で、当たり前のように使われている「性感染症」という言葉が、STDからSTIに変わった世界的な流れに乗り遅れているだけではなく、実は変な言葉だということがわかりました。そこで今月のテーマを「「性感染症」という変な言葉」にしました。

~今月のテーマ『「性感染症」という変な言葉』~

○『「性感染症」の定義、由来は?』
 岩室紳也は勝手にセックスでうつる病気を「性感染症」と決めつけていました。そのため「HPVはセックスで感染し、HPVが原因で子宮頸がんがおこるので、子宮頸がんは性感染症ですよね」と子宮頸がんを扱っている先生や関係者の方々に投げかけると、「子宮頸がんは性感染症ではない」という大逆襲に遭いました。「子宮頸がんの患者からはHPVに感染しないから子宮頸がんは性感染症ではない」とそれまで気がつかなかった指摘もいただきました。議論をしていくとそもそも「感染症」の定義が混乱していたり、最後は医学的な議論ではなく感情論だったりしました。また、自治医科大学附属さいたま医療センターの今野良先生が「子宮頸がんは性感染症ではなく、性感染(STI)だ」とおっしゃっているのを聞き、ますます私の中の混乱に拍車がかかりました。そこでそもそもお偉い専門家の先生たちが決めた「性感染症」という言葉の由来を考えてみました。

●『専門家が勝手に決めた「性感染症」』
 性行為でうつる梅毒などの呼び方は時代や理解と共に変化しています。かつては「花柳病」と呼ばれ、1903年には日本花柳病予防協会が設立されています。その後、花柳界だけの病気ではなく、性行為でうつるということで「性病」に名前を変え、1948年に制定された性病予防法では梅毒、淋菌感染症、軟性下疳、鼠径肉芽腫症を「性病」と定めていました。
 世界的にも呼称、ネーミングには気を使っているようで、当初はVenusが語源になっているVenereal Diseaseと呼ばれていましたが、より科学的な理解ができるよう、1975年にSexually Transmitted Disease(STD)と改められ、日本でも性行為感染症と呼ばれるようになりました。しかし、「性行為」という言葉の響きがよくないという判断もあったようで、1988年に現在の日本性感染症学会が設立されたのを受け、「性行為感染症」が「性感染症」と呼ばれるようになりました。
 HIV/AIDSの確認後、「HIV/AIDSはSTDです」と啓発すると「Disease(病気、疾病)は症状が出ている、具合が悪い状態」と思い込んでいる人はセックスパートナーが元気だから「病気」は持っていないと思い込み、感染拡大に歯止めがかかりませんでした。WHOは正確な理解を広めるため、1998年にSTDをSTI(Sexually Transmitted Infection)と呼ぶようになりました。(ただ、CDC(米国疾病予防管理センター)はSTDを使い続けています。)

○『STDとSTIの正確な翻訳は?』
 国立感染症研究所の英名はNational Institute of Infectious Disease。感染症は直訳すれば、Infectious Diseaseです。感染はInfection。性行為感染症を英訳すると正確にはSexually Transmitted Infectious Diseasesとなりますが、Sexually Transmitted Diseasesでもあります。しかし、日本
性感染症学会は2008年末までは英語の名称をJapanese Society for Sexually Transmitted Diseasesとし、今はSTDではなく、STIという考え方に変えてJapanese Society for Sexually Transmitted Infectionとしましたが日本語は同じ「性感染症」です。「症」、すなわちDiseaseの考え方が残っており、世界的に無症状な感染(Infection)に対する理解を深める必要性が認識されている中、日本ではそのことが徹底されていません。そのため相変わらず「エイズウイルスに感染するとどのような症状が出るのですか」という質問が後を絶ちません。

●『言葉を使う目的が大事』
 よく医療の世界では「病気を診るのではなく、患者や人を診る」ことの大切さが言われていますが、一人ひとりにとって大事なことはまずは病原体に感染しないこと。そして感染したからといってすぐに症状が出ないInfection(感染)の状態であることが多く、そのInfection(感染)の状態と本人にとって一番いい形で向き合うことが大事となります。病気(Disease)という状態は、最終的に感染(Infection)と上手く向き合えなかったために起こった状態となりますので、一人ひとりにとって大事なのはInfection(感染)という視点となります。

○『HIVとの向き合い方』
 HIV感染を予防するためにはまずは症状がない、病気(Disease)ではない人からも感染(Infection)の可能性があるということを理解することです。HIVにはSTI以外にも感染経路がありますので、「HIV感染予防にコンドーム」というだけではHIVの感染拡大は予防できません。さらに社会の偏見や誤解、他人事意識を解消してはじめてHIVの感染を防ぐことができますので、日本エイズ学会では様々な視点でHIV/AIDSの問題が議論されています。
 一度HIVに感染すると今のところ体の中からHIVを除去することはできないのでAIDSを発症してDiseaseの状態になって命を落とさないために定期的な検査が勧められ、適切な時期から治療が開始されます。

●『HPVとの向き合い方』
 HPV(ここでは子宮頸がんを起こすHPVに限定した話にします。尖圭コンジローマは同じHPVでも子宮頸がんとは全く違うSTIと理解しなければならないようです)感染を予防するためには、ノーセックスかワクチンしかありません。膣性交でコンドームの正しい使用を徹底しても予防できないことがあります。詳しくは紳也特急の111号『童貞と処女の性感染症』をお読みください。
 一度HPVに感染しても約8割の人のHPVが自然消失します。そのため、HPVが持続的に感染しているかどうか、HPVによって異型細胞(前がん状態)がないか、子宮頸がんという病的な状態になっていないかを確認することが重要で、セックスの経験がある女性はHPV検診を受けるか、子宮頸がん検診を受けるしかありません。

○『正確な理解のために』
 私が以前から「HPV感染症や子宮頸がんは性感染症」と言ってきたのは、「性感染症」という分類の中にHPV感染症や子宮頸がんを入れたかったからではなく、HPV感染予防のために性行為関連で出来ることは何か、コンドームがどの程度予防に有効なのかを知り、そのことを伝えることが目的でした。HPVはHIVのようにコンドームの使用方法を徹底しても必ずしも予防ができないことを確認する過程、議論を通して、「性感染症」という言葉が正確な理解を妨げていることが明らかになりましたので、日本性感染症学会も英名のDiseaseをInfectionに変えるだけではなく、WHOが言うようにSTI(Sexually Transmitted Infection)とどう向き合うかを議論するためにも、STIの日本語訳を「性感染症」から「性感染」、あるいは「性行為感染」に大至急変えていただきたいと思いました。と同時に、未知のものを含め、ヒトは性行為で多くの病原体に感染していますので、「性感染」という一括りで議論することの限界が見えてきていることも事実です。

●『HIVもHPVもクラミジアも別のもの』
 ここまで書いてきて、いままで岩室紳也は啓発活動の中で「HIVは性感染症です」という説明をしていなかったことに気付かされました。「HIVの感染経路はセックス、輸血、薬物の廻し打ち、刺青(Tattoo)」と言い、コンドームにこだわってきたのは、HIVの感染経路で最も多いSTIとしてのHIV感染を避けるための確実な方法論を伝えたかったためです。ちなみに検査はWindow periodの問題があるので次善の策ですので岩室紳也は「検査を受けよう」とは言っていません。
 HPVの対処法はHIVと全く違います。ノーセックスかワクチンです。だからセックスの前にワクチンを打つ意味があります。というかそれしか対処法はないのです。次善の策としてコンドームも考えられますが、エイズ検査同様私自身は積極的に伝えるつもりはありません。
 クラミジアはHIVともHPVとも違います。そもそも死に直結しないものであり、もっとも多い感染経路がコンドームをまず使わないオーラルセックスです。私がクラミジアの話もしないのは、正確を期すには「クラミジアを予防するにはオーラルセックスでもコンドームを使わないといけません」という話をせざるを得ないのですが、教育現場では「オーラルセックス」や「フェラ」といった話をこちらがすることに対する抵抗感が根強いからです。
 このようにそれぞれの対処法が違うにも関わらず同列に扱おうとし、「HPV感染は性感染症か否か」と議論していた岩室紳也は、言葉を大事にしていないばかりか、結局は感染するかもしれない一人ひとりを大事にしていなかったと反省です。