紳也特急 143号

~今月のテーマ『「普通」とは』~

●『生徒さんの感想』
○『講演会にゲーム持ち込み可』
●『「わかりません」が「普通」』
○『男女共同参画社会、男女平等をどう思いますか』
●『紳也さんは「普通」』
○『被災地にない「普通」』

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●『生徒さんの感想』
 「かぶればホーケー、むければOK」という言葉がいんしょうに残りました。(高3男子)
 私自身、性については興味があるものの、性病については無関心でした。でも人間は必ず失敗するもので、失敗する前に考えるべき問題だと改めて考えさせられた。(高3男子)
 今回の講演会で学んだことがあります。男女の考え方の違いです。A4ノートに恋人としたいことを書くということを言われ、なるほどと思いました。今まで、付き合ったりしたときに、自分勝手な部分が多かったと思いました。これからはしっかり、恋人、性と向き合って生活したいです。(高2男子)
 一度でいいから男性どうしのSEXを体験してみたいと思った。(高2男子)
 岩室先生の講話を聴いて、自分は今まで思っていた性教育の講話とはちょっと違うなと思いました。最初に心に残った言葉は校長先生に向かって「わかりませんを禁句にしましょう」と言われたことです。相手とのコミュニケーションを断つ「わかりません」と言うのを無くすことはとても必要なことだと思いました。(高2男子)
 すべて同じ学校の生徒さんお感想です。いつも通り、字も生徒さんが書いたままです。女子生徒の感想が目に止まることが多いのですが、今回はなぜか男子ばかりが目に止まりました。全く同じ講演を聞いていても心に残り、感想に書いてくれることは一人ひとり違います。みんなが同じであること、普通であることを求める時代と言われていますが、本当はみんなが、一人ひとりが違うということを求めているように思います。そこで今月のテーマを「『普通』とは」としました。

『「普通」とは』

○『講演会にゲーム持ち込み可』
 いろんな学校にお邪魔していますが、どの学校にもその学校なりのルールがあるのが「普通」です。講演の前に「携帯の電源を切れよ」、「みんな暑いんだから、講師の方に失礼だから扇子で扇いだりするな」と大声で生徒さんに呼びかけている先生がいるのが「普通」。しかし、先日私が講演する目の前の10人ほどの生徒さんがゲーム機で遊んでいました。先生たちも叱らない状況の中で講演会が始まり、彼らも時々講演内容に興味を示し私の方を見たり、ゲームの話を仲間としたりで1時間ほどの時間を過ごしていました。これがこの学校の「普通」なんだとびっくりしていました。確かにゲーム機を通して仲間をつくっている彼らから命の綱であるゲーム機を取り上げるのは酷なのかなと思うようにしてみましたが「どこか変」ですよね。

●『「わかりません」が「普通」』
 最近、講演の際にマイクを向けると間髪入れずに「わかりません」と答える生徒さんが多くなりました。昔は「わからないんだ」と優しく次の生徒さんにマイクを向けていましたが、最近はひるむことなく、「『わからない』は失敗じゃないからいいと思っているんだろうけれど、人はむしろ失敗した方が悔しい思いをし、学んだり覚えたりするものだ。間違ってもいいから何でもいいから思ったことを答えてください」と再度質問をします。そうすると「もう一度質問をしてください」と言う反応が多いことに気づかされました。「わかりません」と答えているものの、実は質問の意味を聞こうともせず「わかりません」と答えている生徒さんがすごく多いことにこれまた気づかされました。考えることを放棄し、最初から答えるという発想もなく、その場をやり過ごすには質問に対して「わかりません」と答える。これが「普通」の生き方のようです。

○『男女共同参画社会、男女平等をどう思いますか』
 ある高校で講演をしたらこの質問をされ、次のように答えてました。
 「正直なところ私は男女共同参画社会や男女平等というのは正直よくわかりません。わが家は一部の人から見たら男尊女卑ととられるかもしれません。私が好きなように仕事をしているものの、夕食は一緒に食べたいから妻は帰るまで待ってくれていて、夕食が9時を過ぎてからというのは『普通』です。いつもすごく美味しいものを食べさせてくれる奥さんに感謝です。本当に尊敬しています。
 男は子どもを作るだけで、女に子育てを押し付ける。男は大変。女は損。そのような考え方もあるかもしれないけど、男であることを、女であることをぜひ楽しんでもらいたいですね。男はどんなに頑張っても、希望しても子どもを産むことはできません。そのようなことを言うと『女は子どもを産む道具と考えているのか』と非難する人がいますが、私は子どもを産むことができる存在であることを楽しめる人は楽しんでもらいたいと思っています。お互いにつらいことがあってもそのことに一緒に向き合っていられるだけで幸せですよね。このような積み重ねをすることが愛を育むことそのものかなと思うのですがいかがでしょうか」と返答したら、質問してきた生徒さんは納得顔でした。いろんな人とのやり取りをさせてもらう中で、自分の考え方が整理できたり、自分の日々の生活を振り返られることに感謝です。

●『紳也さんは「普通」』
 エイズに関する世間の関心が低下したからか、それとも小学校では性感染としてのHIV感染を教えないことが徹底されたからか、最近は小学校に呼ばれることがほとんどなくなりました。そのため小学生が何を考えているかは近所の小学生との交流でしかわからなくなりました。小学校5年生になった隣の女の子が突然、「紳也さんはどうしてあんな高い車に乗っているの。あんな車を買わないで旅行に行けばいいのに」と聞いてきました。「旅行に行っている暇がないから、仕事の時に車に乗っているのを楽しんでいるんだ」と答えたものの「するどい」と思いました。
 その彼女が家内に「どうして紳也さんと結婚したの。どこがよかったの」と突っ込んでいるのが聞こえてきたので耳をダンボにして聞いていました。家内が「まじめだったから」、「動物が好きだったから」といった答えをしていたら、「昔はかっこよかったの」といったニュアンスのことを聞いてきたので逆に「今の紳也さんをどう思う」と聞いたら「普通」という答えでした(苦笑)。

○『被災地にない「普通」』
 このメルマガが発行される日にまた陸前高田市に入ります。発災から100日以上経ってもまだ避難所暮らしの人が少なくありません。子どもたちの学校は再建されたものの、がれきの撤去が進んだのかと思えば、実は何カ所かに集められただけ。仮設住宅に入る人が増えていますが、今まで大きな家に住んでいたのに2間の狭い仮設では到底くつろげません。
 だからもっと支援を。確かにそうなのですが、こんな声もあります。「支援と言いつつ、『自分のやりたいこと』という名の、もうひとつの津波が被災地にはきているような気がします。その津波に現地の人間は、また溺れかけ、追い詰められているような気がしてなりません。」自戒の念を含めてかみしめたいと思います。
 日本国憲法第25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と書かれています。この25条で保障された生活が「普通」なのでしょうが、残念ながら被災地にはまだ「普通」が戻ってきていません。陸前高田市の市民の皆様は単に「普通」の生活をしたいだけです。その「普通」を取り戻すために一人ひとりができることをこれからも地道に積み重ねましょう。