紳也特急 147号

~今月のテーマ『Stay Foolish』~

●『偉人の教え』
○『まっさらであれ』
●『Looking backwards』
○『できていたことはできる』
●『できていなかったことはできない』

…………………………………………………………………………………………

●『偉人の教え』
 Macを世に送り出したApple Computerの前CEOのSteve Jobs氏が亡くなられました。彼がコンピューターというものをこの世に送り出していなかったら、今の私もなかったことでしょう。この紳也特急も講演に行く新幹線車中で書いていますが、自分の思いを文章に、PowerPointにしてくれる便利なツールのおかげで休みのない愚かな毎日を送っています。
 「そんなにお金を稼ぎたいの?」、「いつまでもハングリーですね」と言われそうですが、決してそうではなく、ただ頼まれたら断れない、断る勇気がないだけです。子どもたちには、「いやなら『いや』、『No』と言っていいんだよ」といいながら、子どもたちが『いや』、『No』と言えない理由は実は私、岩室紳也の中にありました。一度でも「No」と断った瞬間、次からのオファーが来なくなるのではないかという恐怖感は、目の前の彼を失いたくないと思っている女の子と同じなのかもしれません。
 11月は私の手帳の切り替え時。来年の3月までのカレンダーはほぼ埋まっていますが4月以降はガラガラ。それもそのはず。私に多くの仕事を依頼してくださる学校やお役所はまだ来年度の予算も、事業計画も決まっていません。しかし、これがまた私の不安をあおり、依頼された仕事を断れないという悪循環。
 そんな愚かな、foolishな私ですが、亡くなったSteve Jobsがスタンフォード大学での卒業生に送った、「Stay Hungry. Stay Foolish」で締めくくったメッセージを聞き、いろんなことを考えさせられました。そこで今月のテーマを「Stay Foolish」としました。

『Stay Foolish』

○『まっさらであれ』
 「Steve Jobs」、「スタンフォード大学」、「YouTube」で検索すると字幕入り含め、いろんな映像にたどりつきます。Jobs氏が亡くなった直後はテレビでも多くの局が取り上げていましたが、YouTubeに限らず、テレビでも「Stay Foolish」を「愚かであれ」と訳していましたがどこか変。ちなみに原文は http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html にアップされています。
 Foolishを英語でどう説明するかを見るために英英辞典で引くと「without good sense or wisdom, silly, unwise, ridiculous, absurd, abashed, embarrassed,humble, worthless」とともに、「Foolish describes that which shows lack of good judgment or of common sense」や「Not the same」とありました。判断能力がない、常識がない、同じではないというのはどのような意味なのでしょうか。
 Jobs氏はfoolishの前に「Stay」という言葉を使っています。○○のままでいましょう。すなわち、誰でも前はそうだったでしょうとも言っていることから、判断能力がないとか、常識がないといった否定的な意味ではなく、むしろ誰もが子どもの時のように、常識(とされていること)に縛られていない、まっさらな状態でい続けなさいと呼びかけているのではないでしょうか。ある知人は「飽食で、お金で何とかなるような錯覚がある時代に、ハングリーになること、人と違う感覚を持つことはすごく難しくなってるんだなぁ~と改めて思いました」というメールをくれました。その通りですね。常識も時には先入観となり、新たな発想を生まなくなります。まっさらな、先入観を持たない感覚を持ち続けたいものです。

●『Looking backwards』
 Jobs氏はメッセージの中でMacがきれいなフォントを組み込んだのは、Mac誕生から10年遡るところでJobs氏が落第したため空いている時間にcalligraphy(書体)の授業を受けていたおかげとのこと。Calligraphyの勉強をしていなければWindowsもまねした(とJobs氏がメッセージの中で話していた)Macができなかっただろうと。You can only connect dots looking backwardsという言葉は、点と点をつなぐことの重要性を指摘したこともさることながら、「looking backwards」は後ろ向きではなく、人は経験したことしかつなぎ合わせることはできない。その通りです。
 自殺が増え続けていますが、実は増え続けているのは男たちだけです。男性の自殺の増え方と、十代の人工妊娠中絶が急増した時と、児童虐待が急増した時期と、不登校が急増した時期がすべて一致します。このような視点でデータを集めようと思ったのは実は一つ一つに首を突っ込んでいたからでした。前立腺がんの早期発見で行われているPSA検診で見つかる前立腺がんは48倍もの手術不要者を手術することで、1人の命を助けている理由にたどりついたのも、27年前に一緒に仕事をしていた慈恵医大の和田先生が書いた論文を同僚として付き合い上(これが正直なところです)読んでいたからです。どのような経験も無駄にならない。56年生きてきたからこそ自信をもって言えます。ただ、foolishでなければ経験も活かせません。

○『できていたことはできる』
 3.11の震災から7カ月以上も経ち、多くの人にとって震災や津波、原発事故は過去の出来事になっているのかもしれません。しかし、毎月陸前高田市に入り、先月から女川町にも関わる中で、被災地の復興にむけてまだまだ取り組まなければならないことは多いと感じています。ただ、ここで直面するのはまさしくJobs氏の言葉です。You can only connect dots looking backwards. 経験していたことはできるのですが、経験していないことを新たに行うことは難しい。できていたことはできる。できていなかったことはできない。
 被災した医療機関を立ち上げるために何をするべきかについては多くの人がイメージできます。しかし、地域の健康づくり活動で大切な地域の人や組織をつなぐ活動はなかなか進みません。それもそのはずです。陸前高田市では多くの職員が、保健師さんにいたっては9人中6人が津波の犠牲になられました。全国からどんなに多くの応援隊が入っても、市役所が新たに保健師さんを採用しても、過去を知っている人でなければつなげられないものが数多く存在します。その意味でもあらためて公務員って大事だなと思いました。ところが、未だに震度5で倒壊すると言われている市役所の建て替えが進まないところもあると聞きました。過去を、地域を知っている人は市民全体の財産です。また、市町村合併でよく知っている地域から引き離された公務員も少なくありません。本当にfoolishなこと、mottainaiことです。

●『できていなかったことはできない』
 東日本大震災がなければ、見ることもなかったHPを数多く見ています。その一つが日本地震学会のHPでした。何気なくのぞいてみると以下のQ&Aが出ていました。
質問:想定されていた宮城県沖地震と1100年前の貞観の大地震について教えてください.また,東北太平洋沖地震との関係も教えてください.
回答:(想定)宮城県沖地震とは,地震調査研究推進本部(以下,推本)によりますと,牡鹿半島東方沖のプレート境界面,深さ約40kmで発生する低角(断層面がかなり水平に近い)逆断層型, M7.5前後の地震を指します.推本では,1978年の宮城県沖地震を典型的な例と考え,その地震のマグニチュード,余震の発生範囲,津波の最大波高を参考に長期予測などの評価をしています.
 一方,貞観の大地震とは,西暦869(貞観11年)に発生したM8.3の地震で,古文書によれば,三陸沿岸や現在の宮城県付近において地震の揺れと津波で大きな被害がでており,三陸沖の巨大地震と考えられます.これだけですと,推本が想定してしいる宮城県沖とさらにその日本海溝側の震源域が連動した地震のようにも見えます.しかし,最近の研究から,仙台市や福島県の沿岸部において海岸線から数kmも離れたところから, 貞観大地震によるものと考えられる津波堆積物が発見され,この地震が想定宮城県沖地震(連動した地震も含む)より規模 が大きく,巨大な津波を伴った地震であることが明らかにされています.ただし,今回の東北太平洋沖地震が貞観大地震の再来であるのかどうかを見極めるためには,詳しい解析結果を待つ必要があります.
 このQ&Aを読んで皆さんはどう感じましたか。私の勝手な想像ですが、質問をした人は「1100年前の貞観の大地震という経験を、今回の東北太平洋沖地震の予測に役立てられなかったのでしょうか」ということだと思いました。しかし、どこか噛み合わない。
 日本地震学会のHPを閲覧しながら、ふと、私が属している日本エイズ学会、日本性感染症学会、日本思春期学会、日本公衆衛生学会、日本泌尿器科学会、日本小児泌尿器科学会といった学会と同じだと気付かされました。どの学会にも多くの専門家と言われる人が属し、年に1回は総会を開催し、様々な発表や議論が交わされています。しかし、同じ学会員であっても関心事は異なり、どの学会においても「予防」、「未然防止」という観点から活動し、実践を重ねている人はそれほど多くありません。先の日本地震学会のQ&Aを見ても、地震のメカニズムでさえもまだ未解明なことが多々ある中で、地震の予知や津波との関係性について言及できるはずもないのは当たり前のことだと思いました。結局学会も、できていたことはできる、できていなかったことはできない。だから、一人ひとりが気をつけましょう。