紳也特急 151号

~今月のテーマ『「罪に罰」では予防はできない』~

●『まもなく1年』
○『裁く側の責任』
●『少年院収容者の5割が児童虐待を受けた』
○『被災地の出来事も他人事に』

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●『まもなく1年』
 ちょうど1年前、2011年3月の紳也特急で「こころを病むプロセス」ということを書いていました。その直後の3月11日に東日本大震災が起こり、気が付けば私は毎月のように岩手県陸前高田市や宮城県女川町にお邪魔し、被災地でのこころのケア、自殺予防を考える立場になっていました。これまでもいろんなことに首を突っ込んできましたが、結局のところ、すべてのことがつながっていて、これまでやって来た一つ一つのことが、自分自身の経験が、被災地に、被災された方々に関わる上で役に立つんだと実感させていただいた1年でした。と同時に正直なところだいぶ疲れてしまいました。紳也特急も一日遅れですみません(フー)。
 被災地に入った公衆衛生関係者は様々な活動をしましたが、その中でも被災地の方々のこころのケア、自殺予防に向けた取り組みが効を奏したというデータが発表されました。平成22年と平成23年の都道府県別自殺死亡率を比べると、全国 24.7→23.9、岩手県 35.1→30.1、宮城県 26.4→20.6、福島県 26.6→25.9でした。岩手県と宮城県では前年比でかなり自殺が減ったのですが、福島県ではあまり差はありませんでした。その理由を軽々に論じることはできませんが、考えられる要因の一つが被災地に差しのべられた保健師さんをはじめとした様々な人的支援でした。岩手県や宮城県では避難所や仮設住宅のみならず、直接的な被災を受けていない人への訪問等を通したこころのケアが行われましたが、福島県は原発事故の影響からそのような人的支援が十分ではありませんでした。もう一つの要因は岩手県と宮城県では被災者の方々は地元にとどまり、昔からの関係性やつながりを大事にしながら避難生活を続けられ、報道等の影響もあり、県民全体で「被災地も頑張っているんだから自分たちも頑張らなければ」という雰囲気が盛り上がったと思われます。一方で福島県の被災者の方々は地元を離れ、バラバラに避難せざるを得ず、住民同士がお互いを支え合う環境が崩れてしまいました。さらに原発事故の影響が県民全体に重くのしかかり続けています。様々な予防活動が結果として岩手県と宮城県の自殺を減らし、それが足らなかった福島県では全国同様の結果だったのではないでしょうか。岩手県と宮城県での結果は近年にない「予防対策の成功例」です。もちろんこれからも丁寧に被災地のこころのケア対策を講じていかなければ3.11という時期のフラッシュバックなど、いつ自殺が増えても不思議ではないほど被災地には様々なストレスが蔓延しています。
 そんなことを考えていたら、1999年(平成11年)4月14日に山口県光市で発生した母子殺人事件で犯行当時に18歳だった犯人に対して最高裁は死刑という判決を下しました。マスコミは犯行当時18歳だった被告を死刑にすることの是非についていろいろ報道していました。しかし、どの報道機関もこのような事件の再発を予防するにはどうすればいいのかという視点で報道していません。おそらく多くのマスコミ関係者は「あんな事件を起こすのは特殊な奴だ」。「親の顔が見たい」。「うちの子は大丈夫」と他人事(ひとごと)のように考えていたのではないでしょうか。しかし、事件の再発予防を真剣に考えないとまた同じような事件が繰り返されるだけです。そこで今月のテーマを「『罪に罰』では予防はできない」としました。

『「罪に罰」では予防はできない』

○『裁く側の責任』
 死刑というのは国が、国民が人を裁き、命を奪うことです。その是非については敢えて言及しませんが、人を裁き、その命を奪うのであれば、その一方でそのような事態を少しでも減らす努力をすることもまた国の、そして国民の責務ではないでしょうか。犯罪予防のために罪に対して罰が制定されている。そう思っている方はぜひ罰の効果を、罰があることでどの程度罪を予防できているのかの評価してください。
 2011年12月16日、長崎県西海市で千葉県在住の23歳の女性の27歳の元交際相手が女性の母親と祖母の二人を殺害した事件。本当に気の毒な結果ですし、明日はわが身ということを思い知らされた事件です。しかし、ここでもマスコミは女性の父親から相談をうけた警察の対応に問題があるということだけを取り上げています。そもそも警察が連携したとしても、今の法律でこの男の行動を制限し、事件の発生を本当に予防できたのでしょうか。そのような議論と同時に、どうしてこのような男が次々と出てくるのか。どうすればこのような男が出てくるのを予防できるのかを考える必要があるのではないでしょうか。
 警察対応、厳罰主義で予防できるものもあるでしょう。実際、飲酒運転の厳罰化後、飲酒運転が少しは減ったようですが決してゼロにはなりません。自分は飲んでも大丈夫と飲酒運転による事故は「他人事」と思っています。もちろん多くの健全な飲酒者(?)のために今でもお酒は売られています。厳罰化だけでは飲酒運転が減らないのでいろんな手段で少しでも飲酒運転を減らす努力が繰り返されています。厳罰の最たるものである「死刑」があっても結果的に死刑囚はなくなりません。だからこそ死刑になった人たちに学び、次なる犯罪を、死刑囚を減らす努力が求められます。

●『少年院収容者の5割が児童虐待を受けた』
 光市の事件の犯人についてマスコミは母親の自殺、父親からの虐待といった成育歴に原因があるのではないかと報道しています。犯人が今回の犯行に至った要因は一つではないでしょうが、われわれは本人の成育歴に学び、同じようなリスクを抱えている人たち自身をどう守り育てるか、支えるか、地域全体で育児をすることで虐待の芽をどう摘んでいくかなどを考える必要がありますが、そのような地域づくりは容易ではありません。ただ、岩手県や宮城県の自殺の減少のように、地域でのつながり、関わり、絆づくりは一人ひとりのこころの健全化に役立つことは間違いありません。法務省は裁く立場でしかないのかもしれませんが、同じような事件を予防するためにもぜひとも厚生労働省等と連携してもらいたいものです。
 2001年8月10日の読売新聞の記事に「少年院収容者5割児童虐待受けた」というのがありました。光市での事件の後の報道ですが、その頃から私は「本気で児童虐待対策をしなければ次の被害者はあなたですよ」と言い続けてきましたが、ご存じのように児童虐待相談件数は増え続けています。児童虐待対策も「罪と罰」のように「虐待通報後の保護者の指導」や「育児不安に対する相談」と課題が見えてから対処する後追い対策だけです。このように場当たり的、素人的な対応しか行われないのは結局のところ対策を指示する人たちにとって児童虐待は「他人事」だからです。光市の事件も多くの人にとって「他人事」です。「自分事」だったら「(もしかしたら自分が犠牲者になるかもしれない)次なる犯罪の予防」を切に求めるはずです。でも「あり得ない」と思っていますよね。それとも「予防方法がわからない」と考えることを放棄しているのでしょうか。
 そう言えばエイズパニックの頃、コンドームを子どもたちに教えることに反対した人たちも「うちの子に限って」と他人事意識だったことを思い出します。歴史は繰り返されるのです。

○『被災地の出来事も他人事に』
 被災地では復興計画はできたものの、生活再建は程遠い状況です。被災地にはまだ瓦礫が山積みですが、全国のほとんどの自治体は東北の瓦礫を引き取りません。たった1年前に悲惨な光景を何度も何度も目にしたにも関わらず、明日はわが身と思えない他人事意識がもう日本中に蔓延しているようです。私が住んでいる神奈川県も受け入れを拒否しました。もしこれを民意と考え尊重するのであれば、黒岩知事さんには「残念ながら神奈川県民は東日本大震災の惨状を他人事のようにとらえています。大変悲しいことですが、これが神奈川県民の判断ですので、今後万が一神奈川県が大規模災害に遭った時には全国からの応援はぜひとも辞退し、発生した瓦礫はすべて神奈川県内で処分します」と宣言してもらいたいと思います。
 かなり乱暴な言い方かもしれませんし、「ただの瓦礫と違って放射能の問題もある」と反論する人もいます。それなら電力を使っている一人ひとりは原発を福島県に作らせた責任があります。電力も使わない。今後一切の援助もお断りする。このように極端なことを言わないと理解されないのでしょうか。もっとも他人事意識というのはそのような論理では変えられないほど重症な自分中心主義病なのかもしれません。これをどう予防するか。一人でも多くの人と関わり、一つでも多くの経験を積むことに尽きるのでしょうね。経験不足が他人事意識、自分中心主義病を生んでいるようです。あなたは大丈夫ですか。