紳也特急 156号

~今月のテーマ『伝える・伝わる・伝わらない』~

●『10年ぶりの再会?』
○『続けているから見えること』
●『伝わっていると感じる時』
○『形から入る大切さ』
●『伝わらない時』

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●『10年ぶりの再会?』
 先生のお話を聞いてから10年が経とうとしています。私にとって2回目となる先生のお話は、新たに考えさせられることが多く、実り多い時間でした。高校生の時はただただ恥ずかしさがあり、前を向いて話を聞くこともできませんでした。今でも、性に関する話をすることが恥ずかしい私ですが、当時はコンドームという言葉を聞くだけで顔が熱くなっていました。先生のお話は高校生の私にはインパクトが強すぎるお話でしたが、その後、様々な場面で行動できるきっかけを与えていただいたと思っています。
 今回、教員という立場でお話を聞くことができ、生徒だった頃と何が違うのか考えた時、明確に答えがでていません。日々、来室する生徒にコンドームを使うように話しかけたり、そもそもセックスをすることについて気持ちを聞いたり、私自身の経験も振り返りながら彼氏を作りたいという気持ちの真意を一緒に考えたりしていますが、自分がしていることに意味があるのか自問自答の日々でした。しかし、今日、伝えること・話をすることの大切さを実感し、私は、生徒達に考えながら、自分で選択しながら生きていってほしいと思い養護教諭を目指したことを思いだしました。
 講演中の生徒達を見ていると、体験談をより集中して聞いていました。普段、自分達の問題として話をすることが少ない生徒達が、自分なりに感想を書いており、一人ひとり自分の感性で先生の講演を聞いていたことを感じました。 まだまだ経験の少ない、生徒達と恋愛に関して話があう私ですが、生徒達と一緒に一つひとつの気持ちや行動の意味を考えていきたいと思います。また、先生のお話をお聞きできる日がきてほしいと思います。ありがとうございました。
 夏休み前に20校ほどで生徒向けの講演をさせてもらいました。それらの学校ではこの先生のように自分が中学生や高校生の時に私の話を聞いたということを覚えているという教員の方も少なくありませんでした。覚えてくださっているということは何かが伝わったのだと勝手に自己評価をしています。その一方で、この学校では、この生徒さん達には「伝わらなかった」と感じる学校もありました。そこで、今月のテーマを「伝える・伝わる・伝わらない」としました。

『伝える・伝わる・伝わらない』

○『続けているから見えること』
 同じ人が私の話を繰り返し聴く機会はいろいろです。毎年聞いてくださるのが養護教諭の方々。3年に1回は教員の方。何年かぶりは転勤された、あるいは教員になったばかりの方。一生に一度は生徒さん。話している私の方から見ると、続けて呼んでくださる学校の雰囲気の変化は手に取るように見えます。特に10年以上続けてお邪魔している学校では、それこそ先生たちが総入れ替えになっているけれど、何故か講師は学校の10年前からの雰囲気の変化を知っています。
 ある学校で講演を始めようとしたときに、今年の生徒さんの雰囲気が以前と、それこそ前年とガラッと変わっていることを感じました。昔はすごく大人しい、どちらかというと恥ずかしがり屋が多い学校でした。聞きたいけれど、隣に、前後に異性がいると恥ずかしくてちゃんと聞いていられない。だからと言って騒ぐのではなく、とにかく自分を押し殺すような生徒さんが多かったので、先生方と相談して男女別に左右に分けて座ってもらうようにしていました。そうするだけで、この話は男子向けだよという感じで男子にしゃべると(もちろん、女子は一緒に聞いているのですが)、男子は面白いと思ったところで大騒ぎをしながら、楽しそうに聞き、女子向けの話は男子も神妙に聞いて「女ってそうなんだ」と仲間内で確認し合っていました。ところが教師も入れ替わるとすべてが変わってしまいます。性教育もすることになっているからします。でも生徒たちは聞く力がないから時間は短く。もちろん男女混合名簿で床に座る(以前は椅子に座って整列)。でも並んで座れない生徒が何人も。正直なところ今年最悪の講演でした。

●『伝わっていると感じる時』
 最初に紹介させていただいた養護教諭の先生が生徒だった時の学校の講演風景、講演の雰囲気は実は今でも覚えています。全体的に盛り上がり、面白いところでは当たり前のように笑いもありました。その集団の中で聞いていた恥ずかしがりの生徒さんにもそれなりに私の思いが伝わったのだと思います。
 毎年お邪魔しているある学校で、今年はいつになく真剣に、しかもちゃんと反応しながら聞いていた学校がありました。最近は同じメッセージを伝えるにしても、できるだけ事例に絡めた話にするようにしています。このようにできるようになったのも、ホームページに寄せられる様々な相談や、若者たちとのメールのやり取りをさせてもらっているおかげです。「どうしてこんなに同じような相談が来るんだろう」と思わず、「こんなに同じ相談が来るんだから、講演を聞いている生徒さんたちもきっと同じ思いだろう」と考え、「メールでこんな相談があります」と紹介するようにしています。そのような工夫のおかげでちゃんと聞いている、以前の生徒さん達よりはるかに反応しているとこっちが喜んで「今年はちゃんと聞いてくれましたね」と言うと、前任校がもう少しランクが上位の学校から来た先生が不満そうに「前の学校だともっと静かに聞いたんですが」とおっしゃることが何校かでありました。大事なのは静かに聞いている(ように見える)ことではなく、ちゃんと話の内容が伝わっているかです。そう言えば、教員の方が講演を聞いていない学校は生徒さんも聞けていないということに気づかされました。

○『形から入る大切さ』
 一か月で20校余りをカバーすると、前年度との比較だけではなく、講演が上手く行った学校と上手く行かなかった学校の違いも見えてきます。その一つが学校長のあいさつの有無です。もちろん学校長は忙しいので出張等で副校長や教頭先生が挨拶をされる場合もありますが、一学年、もしくは全校生徒を集め、外部から講師を呼び、敢えて学校の授業時間内に講演会を行うことの意味をトップの人が語ることの大切さを生徒自身も感じています。特にありがたいのが、校長先生等があいさつの中で自分自身が性教育をこう考えているという話をされることです。その内容が必ずしも私の考え方と一致しなくても、そのあいさつをネタにできます。生徒からすると校長先生と講師の先生の意見が微妙に違うことを知ることもまた学びになります。
 生徒さんが講演を聞く環境整備をどう整備するかということも大事だと、別の学校で感じました。夏休み前の講演は真夏の暑い日に、蒸し風呂のような、マイクの調子が悪く声が聞こえにくい体育館で行われることが多いのですが、このような環境では面白い話も耳から入ってきません。マイクの音を調整してもらうだけで全く反応が違います。さらなる環境整備の効果を感じさせてくれた学校がありました。例年は体育館でなかなか落ち着いて聞けない学校が近隣のホールを借り、空調が聞いた中で、生徒が着席した状態で聞けるように環境を整備したところ、見違えるようにいきいきと反応しながら聞いてくれました。もっともやはりよりレベルの高い学校から来た新任の先生は「私語があった」と気に入らない様子でした(笑)。確かにいろんなレベルの学校があり、生徒さんたちが聞く姿勢に差はありますが、聞く姿勢を一方的に求めるのではなく、聞いていられる環境整備をしてあげることが大事だと思いました。

●『伝わらない時』
 本当に久しぶりに生徒さんに講演を妨害されるという経験をしました。初めてそのような経験をしたのはさかのぼること20年以上前ですが、中学校で生徒さんに胸倉をつかまれたことがありました。事なきを得たのですが、やはり先生たちには印象的だったのか、つい最近、その場に居合わせた先生が「こんなこともありましたね」とその事件を話題にしながら、「自分の思いを上手に伝えられなかった生徒でしたが、今はちゃんと社会人になっています。あのことは本人も反省しています」と報告してくださいました。
 今回の講演妨害は大半の生徒さんが聞いている中で、一人の生徒さんが「何言っているのかわからない」、「しゃべるのをやめろ」と大声で叫んでいました。もちろん付き添いのようにそばにいた先生は止めに入り、仲間と思しき生徒も「やめろ」と声をかけていました。実際に講演を中断したのはほんの少しの時間でしたが、妨害した生徒さんがどのような思いで妨害行為を行ったのかを考えさせられました。私の講演はマイク一本で行います。もちろん難しい言葉は使いませんし、ちゃんと聞いていればそれなりに面白い話になります。しかし、聴けない、聞いていられない生徒さんにとっては途中から聞いても「何言っているのかわからない」話になります。それに対して、PowerPointを使った講演だと、途中から聞いても、あるいは見るだけである程度話の道筋が見えます。しかし、PowerPointや映像情報は記憶に残りませんし、特に体育館のような施設では映像を使った講演は映像が見えにくいため「何映しているのかわからない」となりかねません。
 伝える、伝わることの難しさを改めて考えさせられた夏休み前でした。

第19回AIDS文化フォーラム in 横浜
2012年8月3日(金)~8月5日(日)
http://www.yokohamaymca.org/AIDS/

今年もよろしくお願いします。