紳也特急 159号

~今月のテーマ『縄文人に学ぶ』~

●『生徒の感想』
○『職住分離』
●『縄文人は津波を避けて高台に住んでいた』
○『文字がないのに伝承?』
●『話し言葉が記憶に残る理由』
○『イメージがわく話し方を』

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●『生徒の感想』
 生徒さんたちの感想に学ぶことが多々あります。
 「わからない」の一言でもしかしたら大切な命までもが失われてしまう可能性があるのが怖いと思った。(高3女子)
 私も授業で「わかりません」とすぐに言ってしまうことがあります。でも、「わからない」と言うことは考えることもやめてしまうことがわかりました。これからはすぐに「わからない」と言わずに考えるようにしたいと思いました。(高1女子)
 生徒さんにマイクを向けると必ずと言っていいほど「わからない」と答える子がいます。そのような答えが出た時は学校の先生に「わからない」は学校では禁句にしてくださいと話すようにしています。もちろん「わからない」ことは多々あるでしょうが、「わからない」と答えた瞬間、ほとんどの生徒さんは考えることを放棄しています。「わからない」ですませず、とりあえず自分なりの答えを、考えを一つでも導き出し、それを表明し、自分と違う考え方をぶつけられることでまた新たな気づきが生まれるはずです。
 今までで一番心に響きました。今までに何回もセックスするときはコンドームを着けるということは聞いていたけれど、女子はセックスしたくないというのは初めて知りました。今までの彼女でセックスに依存している子がいました。その子は他の人ともしていて最悪なやつだと思っていました。だけど、先生の話を聞いて、セックスに依存していたのは淋しくて自分にかまって欲しかったんだなと思い、寂しい思いをしていたことに気づけなくてとても情けないと思いました。(高3男子)
 この彼は私の話を単に聞くだけではなく、自分の経験に当てはめて聴き、さらに自分の中で考えを膨らませていたのを知り嬉しくなりました。人は他人のちょっとした言葉から思わぬ発見や気づきをもらうことがあります。最近の私の学び、目からうろこを与えてくださったのが縄文時代を専門にしている考古学者の方でしたので、今月のテーマを「縄文人に学ぶ」としました。

『縄文人に学ぶ』

○『職住分離』
 東日本大震災の被災地の一つの岩手県陸前高田市で毎月「未来図会議」というのが開催され、保健医療福祉の側面から陸前高田市の未来をどのように描いて行けばいいかの議論が行われています。詳細は災害時の公衆衛生(http://www.koshu-eisei.net/saigai/saigai.html)で確認していただければと思いますが、その会議である方が「津波の被害を予防するのであれば、縄文人のしょくじゅうぶんりに学ぶ必要がある」とおっしゃいました。その時不思議と「しょくじゅうぶんり」と言う音が引っ掛かっていました。しかし、「食住分離」なのか、「職住分離」なのか、あるいはまったく別の「しょくじゅうぶんり」なのかと漠然と考えていた2時間後に、何と、縄文時代を専門にしている考古学者と出会いました。
 この会議の夜に私を陸前高田市に引っ張ってくれている日本赤十字秋田看護大学の佐々木亮平さんと陸前高田市を後方支援してくれている大学時代の同級生の岩手医科大学公衆衛生学教室の坂田教授と盛岡で会うことになっており、佐々木亮平さんの盛岡の実家に車を置きに立ち寄りました。そこに佐々木さんの弟さんが偶然訪ねて来られていて、われわれを送ってくれることになりました。その弟さんが考古学を仕事にしていることは知っていたので何気なく「しょくじゅうぶんり」の話をしたら詳しく教えてくださいました。

●『縄文人は津波を避けて高台に住んでいた』
 日本史を真面目に勉強していなかった私は、そもそも縄文時代は地球温暖化の影響で海面が今より数メートル高かったことなど知りませんでしたが、何より興味深かったのは、大昔から地震による津波への備えが徹底されていたことでした。縄文人は漁に便利な海岸沿いに住むのではなく、高台に居を構えていたとのことでした。そのことを証明するのが各地で発見されている貝塚だそうです。このことはインターネットでも詳しく紹介されていました
(http://www.sof.or.jp/jp/news/251-300/272_3.php)。
 インターネットには様々な有益な情報があふれていますが、このサイトにアクセスするには相当な知識や意識がないとキーワードにたどりつきません。今回、私も「しょくじゅうぶんり」ということを会議で教えてもらい、その言葉が頭から離れることがない時期に疑問が解消されたのですっきりしました。

○『文字がないのに伝承?』
 では、縄文人はどうやって津波の危険性を後世に伝え続けてきたのでしょうか。文字があれば「津波到達点」を記録しておくことができるでしょうが、文字もなく、マニュアルもない中で津波の危険性を伝え続けたのは話し言葉しか考えられません。
 精神科医の北山修さんが、眼から入る情報(PowerPoint等)はわかったような気になるのに対して、耳から入る情報(ラジオ等)は想像力を育み記憶に残るということをおっしゃっています。すなわち、縄文時代は文字がなかったから、マニュアルがなかったから、それこそインターネットやパソコンがなかったからすべての情報は人から人へと話し言葉で伝承されていたはずです。しかも、とにかく生き続けることが、災害から身を守ることが最優先とされていた時代なので、日常的な会話では繰り返し天気や過去の天変地異が話題になり、気が付けば職住分離が当たり前になっていたと考えられます。

●『話し言葉が記憶に残る理由』
 確かに車の中でラジオから何気なく流れてくる言葉は気が付けば頭の中にいろんなイメージを惹起しています。「野田総理大臣が・・・」と聞くと野田総理の顔が思い出されます。「福島県産のお米から・・・」と聞けば福島第一原発の光景が浮かんできます。すなわち、耳から入った情報は一度頭の中で映像へと変換されることで記憶として残ります。しかし、テレビのように目から入った情報はそのまま認識されるので、記憶に残るという過程がありません。もちろん、繰り返し見ていれば記憶に残りますが、そのプロセスを経なければ一瞬にして消え去ります。試しにテレビで最近流行の情報バラエティ番組を見てみてください。終わった後に何か記憶に残っているでしょうか。テレビは記憶に残らないけど、想像力を働かせられたラジオ番組は記憶に残ります。大事なことは「記憶に残るプロセス」を経ることでした。
 そのことを実感させられたのが先日、4年ぶりに会った人の顔を私が覚えていたことでした。昔から人の顔や名前を覚えるのが苦手で、同じ環境で会えば名前が出てくるのですが、環境が変わると「この人だれだっけ???」となる私が、4年ぶりに会った人の顔も名前も覚えていたという、われながら不思議な体験でした。しかし、その理由は実は単純なことでした。4年前のAIDS文化フォーラム in 横浜に参加してくださったその方を、同じ運営委員の方が気に入り、よく話題になっていたので、私が報告書を作成する際に報告書に写真を入れさせてもらいました。もちろん、その写真は何度も見ることになりましたし、お名前もよく話題になっていました。このような経過があったので私の記憶にその方の顔や名前が残るというのはある意味自然な流れでした。

○『イメージがわく話し方を』
 相変わらず中高生を中心に講演を続けていますが、最近は以前と比べて話すスピードが遅くなっていました。私の言葉を生徒さんたちが聞き、頭の中で咀嚼し、イメージが頭の中で膨らんでいくのを話し手としてイメージしながら話すことが増えました。そうすると聞き手も自分の生活や体験に基づいたイメージを自分の中で膨らませ、質問も具体的になってきます。先日、ある男子生徒が「オナニーをして出しそうになった時に両足を突っ張っていると将来インポテンツになると聞いたのですが本当ですか」と質問してきました。このような質問は自分がオナニーをしている姿を想像するなかで、自分が悩んでいたことを思い出して質問につながるのではないでしょうか。縄文人に学び、これからもマイク一本で記憶に残る講演を心掛けたいと思いました。