紳也特急 162号

~今月のテーマ『原因と結果』~

●『メルマガの原稿は?』
○『被災地の自殺の状況』
●『宮城県の自殺が増えた』
○『原因は一つではない』
●『被災地に学ぶ自殺対策』
○『居場所とは』

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●『メルマガの原稿は?』
 1月31日、陸前高田市にいる私の携帯に「2月号の紳也特急の原稿はまだですか」というショートメールが入りました。完全に失念していました。被災地に入ったらメールチェックはできても被災地の仕事で夜まで手一杯の状態でとても書けませんということで発行が今日になってしまいました。
 原稿を忘れてしまった原因を検証してみました

 1.57歳という年齢は何かと物忘れがすすみ、認知症の入口に?
 2.パソコンのトップページに「メモ」を張り付けていますが、更新せずに何故か削除していました。
 3.忙し過ぎてとにかく目の前のことをこなすことで精一杯の状況。
 4.それも「No」と言えずいろんな人にいい顔をしているから。
 5.性教育でも、被災地支援でも他の人材を育てない岩室紳也が悪い。
     などなど・・・・・・・・・・

 こうやって今回の原稿を失念していたという結果の原因は総合的に判断すれば「岩室紳也の性格と老化」となります。個人の問題、責任です。自分で自己批判をする分にはそれでもいいのですが、今後このようなことが起こらないようにする、すなわち「高齢者の物忘れ予防」という観点から考えると、結果は一つであっても原因は多様であり、その多様な原因のすべてに対処しつつ、同じ結果(失敗)を繰り返さないようにすることが求められています。しかし、最近の世の中を見ていると、結果に対して原因は一つのような異常な風潮になっているようなので今月のテーマを「原因と結果」としました。

『原因と結果』

○『被災地の自殺の状況』
 平成24年の日本の自殺者数は3万人を切ったと報道されていますが、どうして3万人を切ったのか。どの施策が効果的だったのかという報道はされていません。それどころか、未だにバブルの崩壊が自殺の急増の原因であるかのように弁じる方が少なくありません。丁寧にみると、実は増え続けていた男性の自殺がバブルで一時的に減ったものの、バブルの崩壊で再び増加傾向に転じただけでした。すなわち男性の自殺が増え続けている原因には手をつけなかったもののバブルが一時的にブレーキをかけてくれただけのことでした。
 1947年から統計がとられていますが、当初から男性の方が自殺する人が多かったのは事実ですが、女性は現在に至るまでほぼ横ばいにも関わらず、男性が増え続けています。この歴然たる事実に目を向け、なぜ男性の自殺が増えているのかを考え、対策を地道に講じていかないと同じ不幸な事態が続くことになりますが、そのような議論はありません。それは原因と結果というシンプルな話ではないから、難しいし専門家に任せたい話だからです。

●『宮城県の自殺が増えた』
 メルマガの153号で東日本大震災前後の平成22年と平成23年を比較すると、あの大被害があったにもかかわらず岩手県と宮城県で自殺が明らかに減ったのに対して、福島県ではほぼ横ばいのようなわずかな減少にとどまったことを紹介しました。その理由として岩手県と宮城県では同じような被害にあった人たちが、体育館のような劣悪条件の中で避難生活を送らなければならなかったにも関わらず、実は同じような仲間が周囲にいたことがこころのケアになり、結果として自殺の減少につながったということを紹介しました。
 ところが平成24年の発表では岩手県と福島県は自殺が減り続けたものの、宮城県では自殺が増えました。この原因を軽々には言えませんが、岩手県と宮城県の両方に関わる中で気づかされたのが、被害者の方々が現在住まわれている仮設住宅の差でした。一般的に仮設住宅というと突貫工事で建てられるプレハブのものを想像されるでしょうが、民間住宅等の空き部屋を行政が借上げて仮の住まいとする仮設住宅もあります。プレハブだと周囲が全員被災者であるのに対して、借上げタイプだと周囲は被災者ではないだけではなく、借り上げで入っている人が被災者であることがわからない、そのような目で見られない可能性があります。そのため、こころのケアに大事なコミュニティが生まれず、結果的にストレスを抱える人が少なくありません。もちろんそのような人たちに対して行政だけではなく、いろんな人が支援の手を差し伸べていますが、こころのケアで一番大事なのは日常の中でのコミュニケーションです。岩手県と比べ宮城県は被災地周辺に被害を受けていない住宅が多かったため、結果的に借上げ仮設の割合が高くなっています。もちろんプレハブよりはるかに住宅環境はいいのですが、こころをケアする環境はプレハブの方がよかったといえます。

○『原因は一つではない』
 大阪で体罰を受けた後に自殺した高校生の件は本当に気の毒です。ただ、気の毒なのは、先に書いた男性の自殺が増えているところへの検証や対策がほとんど行われないまま、今回の不幸なことが起こったことでした。そして今だにマスコミを含めて「体罰がいけない」という議論だけで、教師を総入れ替えしろというとんでもない発想の方に対する反論がないことです。
 今回の自殺の問題で原因(体罰)と結果(自殺)だけに注目するのはこころの健康問題の素人の発想です。こう書くと「岩室は体罰を容認するのか」というこれまた(こころの健康問題の)素人の反論が聞こえてきますが、そのようなことは一言も言っていません。体罰はなくす必要があります。いじめも同じです。しかし、こころの健康問題の根底は大変根深く、原因は多様ですから、ただ「体罰反対」と訴えるだけの発想は、結果として問題解決を先延ばしにし、次なる犠牲者を出すだけの無責任な対応です。それどころか、かえって自殺を増やす可能性がある非常に危険な対応です。

●『被災地に学ぶ自殺対策』
 コミュニティ、居場所の存在が大事だということは被災地の自殺の実態が教えてくれています。もしコミュニティや居場所という観点から考えると、残念ながらその学校だけではなく、今の学校にはそのような居場所としての雰囲気が弱くなっているのではないでしょうか。そこに教師総入れ替えといったコミュニティを壊すような介入をしようとする人は、まるで弁護士のように有罪か無罪かの二つの判断基準でしか考えられない、とても人の健康や幸せのことを考える立場には置いてはいけない発想の持ち主です。
 昔がいいという意味ではないのですが、昔だったら体罰を受けた仲間が卒業証書をもらった後に体罰教師にお礼参りの仕返しをしたものです。そのような仲間が、コミュニティが、居場所があれば、自分にとってもみんなにとっても最悪の顛末を選ばずに済んだはずです。
 横浜市の寿町で活動されている村田由夫さん、石井淳一さんたちがつくった「良くしとするのはやめたほうがよい」という本に「(大人は子どもを、人は他人を)変えることはできないけれど、(子どもも大人も、環境・関係性次第で)変わることはできる」ということを学ばせてもらいました。われわれはどのような環境・関係性を子どもたちに与えられるのでしょうか。

○『居場所とは』
 千葉県浦安市は被災地でもありますが、そこで自殺対策の協議会の委員長をしています。その協議会の実務担当者が「居場所とは」ということで議論して次のような言葉を紹介してくれました。

一人で居ても居場所がある 大勢といても居場所がないことも
心地よい居場所のみを選ぶのではなく、つらい居場所も体験することが必要仲間からの声かけが居場所になる
自分自身は今、居場所づくりを必要としているとは思えない
職場が居場所になることも多い
職場を転々とする非正規雇用は職場が居場所になりえていないという社会構造的問題もある
居場所を多く作っていくとリスクが分散されるのでは
場所だけでなく、目標や夢に向かう取り組みも居場所になる
支えるときも、支えられているときも、それが居場所

みなさんにとって居場所ってなんですか。