紳也特急 179号

~今月のテーマ『高齢者の包茎問題』~

○『思いが大事』
●『ご返事は』
○『老人ホームに入るために手術?』
●『包茎の清潔が確保できない人たち』
○『剥かれる屈辱』
●『理屈より習慣に』
○『手術費用』
●『若い人と異なる手術方法?』
○『たかが包茎、されど包茎』

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○『思いが大事』
 今年の12月に大阪で開催される日本エイズ学会に久しぶりに演題を出しました。
 「認知症合併例の地域包括ケアシステムの構築を可能とした要因の検討」
 タイトルは仰々しいのですが、要は「HIVに感染している人が認知症になってもちゃんといろんな人に支えられ、その人らしい生活ができるようになっている地域がありますよ」というメッセージを発信したいだけのことです。でも、言うは易しで、実は本当に思いのある人たちと出会わなければこのようなことは実現しませんでした。
 HIVに感染している人でも年齢と共に認知症になる人も当然のことのようにいらっしゃいます。家で家族が対応できている間はご本人にとってもそれが一番いいでしょうが、徘徊するようになったり、家族のことも分からなくなったりしてしまうとやはり施設に入るという選択肢にならざるを得ない場合があります。幸い、その方を受け入れてくださる施設は見つかったのですが、慣れない環境のせいか、入所してから身体的に精神的にも状態が悪くなりました。そのため精神科の病院に転院させてもらい、おかげさまで元気になられました。転院できたことにも感謝していますが、何より転院後が本当にありがたかったです。施設の方が、「〇〇さんはいつまで精神科病院にいらっしゃるのですか。早く帰って来られるといいですね」と言ってくださいました。
 退院が決まった時に施設の方に思わず次のようなメールを打っていました。

 失礼な言い方ですが、いろんなことが普通な形で進んでいるのが本当にありがたいです。 いま、毎月岩手県陸前高田市にお邪魔していますが、そこの戸羽市長が常々「ノーマライゼーションという言葉がいらないまちづくり」とおっしゃっていますが、皆さんの〇〇さんへの対応を見ていると、まさしくそうだなと思っています。
 いつだったでしょうか職員の方が「〇〇さんを病院にいつまでも入れておくのは・・・」とおっしゃっていたことが今でも忘れられません。そしてそのお気持ちを受けるかのように今回そちらに戻れるというのは出来過ぎたストーリーのように思えてなりません。本当にありがとうございます。

●『ご返事は』
 普通のことと思っていますが、そのように思っていただいて、恐縮です。ありがとうございます。

 ノーマライゼーションという言葉がいらないというのはこういうことなんだと思いました。
 一方で、高齢者を取り巻く社会にはいろんな問題が次から次へと出てきています。先日、週刊現代で「高齢者の包茎手術について」取材を受けました。取材を受ける前は「新たな被害者続出」と思っていましたが、実際に高齢者の包茎問題を考えると、そう単純ではないことに気づかされました。そこで今月のテーマを「高齢者の包茎問題」としました。

『高齢者の包茎問題』

○『老人ホームに入るために手術?』
 記者の方から「老人ホームに入るために包茎の手術を受ける高齢者の方が増えているとのことですが、安全な手術の受け方についての取材を受けてもらえますか」という連絡を受けた時、思わず耳を疑い、同僚の先生たちにそのような話を聞いたことがあるかを聞いていました。もちろんそんなことは聞いたことがないという同僚たちの話でした。そこでネットで「老人ホーム 包茎手術」で検索してみると変なサイトもありました。その一方で介護現場からすると包茎の手術を受けた男性の方が介護しやすいこともあるという現実に気づかされました。

●『包茎の清潔が確保できない人たち』
 よく包茎の手術を勧める広告に「包茎は不潔だ」と書かれているのに対して、「このような広告に騙されるな」という思いから「自分でちゃんと向いて洗っていれば問題なし」と断じていました。しかし、それは自分の手が使え、かつ清潔が大事と思える人たちの場合でした。整形外科病棟などに入院している、骨折で両手が使えない寝たきりの男性のペニスの清潔を保つため、看護師さんなどが体を清拭する際には、包皮を翻転し、包皮内を清潔にするのが常識です。介護現場でも寝たきりの人であればそのようにしなければ包皮内で炎症を起こし、亀頭包皮炎になり、場合によっては排尿ができないほど包皮口が狭くなるというケースもあります。
 しかし、両手に障がいを抱え、自分で包皮をむいて包皮内を清潔にできない人はどうすればいいのでしょうか。認知症になって「おちんちんは剥いて洗わなければ不潔になる」ということさえも認識できず、包皮がかぶったまま不潔にしたままの人のペニスの清潔は誰が担保するのでしょうか。認知症であっても自分の性器を他人が触ることに対して拒否感があれば、触られることを拒否して結果的に不潔による後遺症で苦しむことも考えられます。
 実はそのような人も亀頭部が常に露出している状態にしてあれば、亀頭部は下着に触れて擦れるため、それだけである程度清潔が保たれます。そう考えると認知症の人の包茎手術はご本人の清潔や健康を考えるとあながち間違った対応とは言えないのかもしれません。

○『剥かれる屈辱』
 一方で、認知症ではないものの、けがや障がい、脳卒中などの後遺症のため、自分自身で包皮をむいて包皮内の清潔を保てない人もいます。その人たちは結局のところ誰かに包皮を剥いて包皮内を清潔にしてもらう必要があります。もちろんいわゆるムケちんの人も亀頭部を含め、ペニスの清潔を保つ必要がありますので、誰かにペニスの清拭をお願いしなければなりません。ただ、「包茎」と「ムケちん」では清拭をお願いするにしてもそのことに対する抵抗感が異なります。
 女性はぴんと来ないでしょうが、男性であれば自分自身がケアされるときに「包茎」だった場合と、「ムケちん」の場合でどのような意識の差になると思いますか。もちろん「ムケちん」でも日頃は他人に触られることがないペニスを触られることには抵抗があるでしょうが、「包茎」の場合は単に触られるだけではなく、「剥かれる」という操作が入ります。このことに対する抵抗感、屈辱感が生まれる人がいてもおかしくありません。

●『理屈より習慣に』
 他人が包皮を剥くことへの抵抗感は、お母さんたちにおちんちんのムキムキ体操を指導しているときにも感じます。お母さん自身は「お子さんの清潔のためですよ」というこちらの指導を素直に受け止め、当たり前のこととして「剥いて、洗って、また戻す」をしてくださります。しかし、「息子といえども、男のペニスを女が剥くなんてとんでもない」といった抵抗を示す大人(祖父母など)が少なくありません。それほど「包皮を剥く」ということが「性器をいじる」という抵抗感につながるようです。その際に「理屈」で攻めてもだめなようで、「知るより慣れろ」、「理屈より習慣に」という対処の方がいいようです。もっとも大人になってからはそう簡単には変われませんよね。

○『手術費用』
 包茎の手術を受ける場合、手術費用が大きなネックになります。亀頭部が全く露出できない真性包茎であれば保険診療が認められており、3割負担で済みます。しかし、自分でむけば亀頭部を露出できる仮性包茎の場合は自由診療の対象となり、それこそ何十万円請求されても仕方がありませんので、事前にいくらぐらいかかるかを確認しておく必要があります。ただ、包茎の手術は泌尿器科医にとっては基本中の基本でもあり、美容外科などに行かなくても、総合病院の泌尿器科や泌尿器科の開業医さんでもやってくれます。そこであればおそらく常識的な範囲内で10万円前後と思われます。

●『若い人と異なる手術方法?』
 包茎の手術を受ける場合、何のために、手術を受けた結果、手術前と何がどう変わって欲しいかをしっかり考えておく必要があります。もし、「亀頭部が常時露出している状態にしたい」と思っている場合は、ペニスの膨張率、特に非勃起時と勃起時のペニスの全長の変化を検証しておく必要があります。膨張率、伸縮率が大きい人の場合は包皮を切除しすぎると勃起時に突っ張って痛みを覚える場合があります。逆に勃起時に合わせた切除を行うと、「包茎切ってもまだ包茎」ということもあり得ます。
 上記のことは実際には若い人と高齢者の場合で判断が異なります。若い人と高齢者の場合は究極の目的だけではなく、勃起力、勃起の回数、性行為に対する期待度が異なるため、手術で得られる結果に対する評価が異なります。高齢者の場合は勃起時につっぱってもいいから、日常的にはむけっぱなしになった方がいいということもありますので、そのようになる手術方法を選択することもあながち間違いとは言えません。しかし、若い人では「突っ張ってセックスが苦痛になった」というのはよく聞く話です。

○『たかが包茎、されど包茎』
 包茎について真剣に考え、対応してきたつもりでしたが、まだまだ甘かったと言わざるを得ません。若い人たちの想像力が低下していると文句を言う前に、自分自身の足元を今一度見つめなおす必要があると反省させられました。
 たかが包茎、されど包茎ですね。