紳也特急 192号

~今月のテーマ『いじめと自殺』~

○『生徒の感想』
●『大人の感想』
○『自殺に追い込む日本社会』
●『高齢者の自殺は減少』
○『若者が抱えるリスク』
●『手詰まり感と余裕がなければ相談も連携もしない』
○『失敗は成功のもと』
●『失敗体験にならない怖さ』
○『3.11の結果に学ぶ』

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○『生徒の感想』
 今日はとても良いお話しが聞けて本当に良かったです。今まで、人とコミュニケーションをとる時に、私と話して楽しいなと思ってもらえるようにするにはどうしたらいいだろうと、考えていました。でも、それは、私の考えすぎで、人と話すときはいかに自分が楽しめるか、それを相手に伝えて、お互いの気持ちをオープンにできるか、自分らしさを出せるか、なのかなといろいろ考え直しました。これからはもっと、いろんな事、いろんな人に興味を持って、たくさんの経験、知識をふやしたいです。ありがとうございました!!

 岩室先生の話を聞いていて感じた事は人の前に立ち話す事のプロだなということ。声のトーンやジョーク、専門知識をタイミングよく使う事で最後まで集中して聴けた。先生が薬物を使っている友達に対して警察から出てきた時には更生センターに連れて行けと言っていたのを聞いて、自分にはそんな度胸はないと思った。が、しかし、先生の言っていた通りにすることが本当の友情なのだと思う。コンドームの達人は人を魅了するカリスマだと感じた。まだ友達を本当に救う勇気はないが、刺青を入れている友達には、検査受ければ?など、さりげなく少しずつ注意していけるといいと思った。

●『大人の感想』
 3回目の講演でしたがまたまた学び多き時間でした。毎回思うのですが、大人が講演会に臨む姿勢って微妙なところがあるように思います。できていることや努力していることが話されると、ホッとして安心して帰宅。逆に、最初から難しさを感じていることを指摘されると、ドキッとしてわざとへんな理由をつけてスルー。
 今回もコミュニケーションの大切さを学ばせていただきましたが、当然努力しなくてはいけない家族(特に夫)へは手薄になってしまうことです。時間的にすれ違うことが多いので必死に言葉数を増やそうと努力はしていますが、気が付くとぐちばかりになり険悪に。自分はPTA活動に参加し、子どもが生活している環境の中に自分を置きながら楽しんでいます。女は強いです。
 でも男は弱い。長男はむきむき体操も途中でやめちゃうし・・・。夫は今まで成功してきた人間なので、仕事の失敗で誰よりもがっかりしているのは本人かと思いますが、子どもとの時間も楽しめない様子です。できることを探して、なんとか子どもたちと接点を持たせようとしているのですが、あんまり優しくしてあげられない私。本当に少しだけ反省し、一言ずつ言葉を増やす努力をしていきたいです。何事も上手く行っている時は多少の無理もきき、気が付けばいい方向に向かっているものです。しかし、たった一つの躓きでも、それを上手に乗り越えられないと悲しい結末に終わってしまう。

 人間って難しい存在で、結局は自分が経験していないことは他人事です。人に伝わる話は、伝える人の経験に立脚した話で、そうではないものは空々しく聞こえるものです。昨今、再びいじめと自殺の問題が取り上げられていますが、マスコミの取り上げ方も、そこでやり取りされる内容も、自分は絶対に人をいじめたりしない、人を自殺に追い込まないという、変な自信を持った人たちの机上の議論のように私には聞こえてしまいます。そこで今月のテーマはずばり「いじめと自殺」としました。

『いじめと自殺』

○『自殺に追い込む日本社会』
 東日本大震災以降、月1回以上のペースで入り続けている岩手県で中学2年生の男子生徒さんが自殺と思われる亡くなり方をしました。東日本大震災というとんでもない被害に遭われた地域では自殺予防は被災直後から大きな課題ですが、自殺する原因を探るのではなく、自殺しないための要因を探ることが大事だとして、陸前高田市では「はまってけらいん、かだってけらいん運動(通称:はまかだ)」を関係機関と共に広げ続けています。
 自殺が年間3万人を突破したのが1998年でした。最近は3万人を切っているためマスコミの関心も低下し、多くの人が関心を示さなくなりましたが国際的にみてもまだまだ高い水準にあります。どうして日本社会は人を自殺に追い込むのでしょうか。
 ライフリンクが調べた自殺の危機経路では「うつ病」、「生活苦」、「家族間の不和」が自殺の三大原因であり、それらの背景に「いじめ」があることも指摘されています。しかし、同じような苦痛を関いている人が全員自殺されているかというとそうではありません。陸前高田市で展開している「はまかだ運動」は、居場所や人と人のつながり、関係性が数多くある人は、辛いことがあってもなんとかそれを乗り越えられる、やり過ごせると考えて展開している運動です。実際、日本では自殺対策と意識した取り組みではないものの、自殺が減少している集団がありました。

●『高齢者の自殺は減少』
 年代別にみると若い世代では男女とも自殺が増え続けているにも関わらず、年配者では減り続けています。高齢者は介護保険をはじめ、様々なサービスが提供されるだけではなく、いろんな場面で人と人をつなぐ仕組みが増えています。家族が介護を施設に押し付けているといった指摘もありますが、見方を変えると家族は介護だけの生活から他の人と接することが出来る生活を得ることができ、介護される側も、家族だけと接するのではなく、いろんな人と接する機会をもらっていると言えます。自治会や老人会の加入率が減ったとはいえ、高齢者の社会参加がいろんな場面で仕掛けられ、男性に必要な役割が各方面で提供されるようになり、結果的に高齢者の自殺は減りました。
 一方で、若い世代では増え続けていますが、よく考えてみると、若い世代向けに人と人を結果的にでもつなぐ対策はほとんど講じられていません。不登校が悪いとは決して言いませんが、不登校になった生徒さんにとっては自分の辛さを共有できるのは家族だけという環境に追い込まれていることになりますし、クラスメートが減った学級ではいろんな人の苦しみを共有できない環境になっているとも取れます。

○『若者が抱えるリスク』
 若者の自殺が起こるたびに「命の大切さを教えたい」と話す大人が多いことに辟易としています。そう話す人に「あなたははどこで『命の大切さ』を知りましたか」と聞いてみたいものです。私は身内や知人、患者さんの死を通して「命の大切さ」を教わりましたし、それを教わった場はお葬式や医療現場でした。医療現場は特殊な場ですが、先日も恩師のお葬式に出席し、命のはかなさや、残されたご遺族の悲しみ、苦しみ、そして亡くなられた方と出会うことが出来た幸せを感じさせていただいていました。
 しかし、現代社会では多くの人は家族葬、身内だけのこじんまりしたお葬式を望んでいるようです。核家族化を是とし、かつ葬式は家族葬、密葬で済ませると、若い世代は人の死を見ないまま、命とは何かを考える機会を得ることもなく、結果として自分の選択肢の中に「死」を入れてしまうように感じています。「命の大切さを教えたい」と話す大人が近くにいた時は、ぜひ私が講演の際に校長先生たちに投げかけているように、「あなた自身はどのようなお葬式を考えていますか」と質問してください。そして多くの大人たちが「家族葬」、「こじんまりとした葬式」と答えることの矛盾を指摘していただければと思います。このような大人に囲まれて育っていること自体が、若者を自殺に追い込んでいると思いませんか。立法府の人たちは、外国との争いを心配するのもいいですが、自国内で多くの命が失われていることに危機感を感じていただき、早急に家族葬禁止法、大規模葬式推進法を作ってもらいたいものです。

●『手詰まり感と余裕がなければ相談も連携もしない』
 今回の自殺で、中学校での教師と生徒さんの生活記録ノートでのやり取り、教師側の返し方が問題視されています。その是非や、こうすれば良かったという評論家みたいなことを言うつもりはありませんが、同じようなことはいろんなところで起こっています。
 よく保健師さんたちに仕事上必要な「連携」や「協働」について話す機会があります。何か課題を解決しようとしたときに、人はどのような場面で他人の力を借りる連携や協働をする気になるのか、連携や協働ができるのかを考えてみてください。逆にどのような場面で他人の力を借りられないのか、連携や協働という行動に移れないのでしょうか。
 連携は自分自身の手詰まりを意識した時に初めて生まれる行動、つながりです。例えば、メタボの人を指導しても全然改善がみられないという時に、自分の力だけでは解決できないから「猫の手も借りたい」という思いになれば連携や市民協働による対策のきっかけづくりとなります。しかし、「まったく、せっかくこんなに一所懸命指導してあげているのに言うことを聞かないんだから」と相手に責任を押し付けてしまう人には「連携」という発想は生まれません。また「他人に手伝ってもらうなんて自分のプライドが許さない」と言語化していなくても感じている人は、絶対他の人と連携できません。
 自分自身が自分の辛さと向き合うことに手一杯だと、他の人の辛さを受け止める余裕がなくなります。一人ひとりに余裕がない、一人ひとりが生きることに精一杯という世の中をつくっているのが日本という社会です。なぜ、そうなっているのでしょうか。

○『失敗は成功のもと』
 いま、若い世代に限らず、日本社会の中で生きている人たちが経験しなくなったのが「失敗」ではないでしょうか。実際に失敗を経験するとすごく恥ずかしい気持ちになりますが、失敗は誰もが経験することだからこそ、まずは失敗に強い人間にならなければなりません。しかし、失敗に強い人間になるには、何より失敗体験を重ねる必要があります。
 私は今月で還暦、60歳を迎えます。還暦とは60歳になることですが、例えば「還暦」の意味が分からなかった時、隣の人に知らない自分の知識の無さを開示しつつ教えを請えますか。60年の間に重ねてきた失敗の数々を思い出してはいたたまれない気持ちや、とても人に言えない気持ちになるものです。私のように数多の失敗経験を重ねてくると、子どもや若い人たちに同じようなつらい失敗経験をさせたくないと思うのも理解できますが、失敗経験を重ねていない人はいざ失敗をした時に本当にもろいものです。
 先日、初対面の一市民の方と話をしていた時に、娘さんを自死で亡くされたというお話をしてくださいました。その方も、ご自分の娘さんがあれほどガラス細工のように打たれ弱いとは想像もできなかったとおっしゃりながら、私が社会全体で子どもたちにもっといろんな経験をさせなければならないし、お葬式は当然のように子どもたちを含め大勢が参加できるものにしなければならないという意見に賛同してくださいました。

●『失敗体験にならない怖さ』
 矢巾町の事件について次のような新聞報道がありました。

 同じ2年生の保護者が子供から聞いた話によると、男子生徒は同級生に髪をつかまれて机に頭を打ち付けられるなど悪質ないじめを受けていたという。今春の運動会の予行演習中には、複数の同級生から砂をかけられ、男子生徒が「やめて」と言っても、しつこく続いた。

 確かにこの事実は「いじめ」であり、許されないものです。しかし、私はこの記事を書いた記者にも、この話をしたという保護者の方にも別の視点でこの記事について考えていただきたいと思いました。
 読者の皆さんも自分の経験として、「あそこで止めてやればよかった」とか、「何故自分は声をかけられなかったのだろうか」と後悔しながら、でもそのことは恥ずかしくてとても人には言えないということはありませんか。私にはあります。これからも、「やめておけ」と言えず、後で後悔することが続くと思います。何を言いたいかというと、この新聞報道を保護者は「うちの子がこんなひどいいじめを見ていたにも関わらず、教師や他の仲間たちと一緒になって止められなかったことが恥ずかしい」という思いで新聞記者に話したのでしょうか。そうではなく、「今回の自殺の原因はいじめで、その証拠をうちの子どもはしっかり見ていたんですよ」という思いで話されたのでしょうか。もし前者だとしたら、ぜひマスコミに対してご自分の意図が全く伝わっていないと抗議していただきたいと思います。後者だとしたら・・・・・・

○『3.11の結果に学ぶ』
 思春期対策、性教育をやっていたからこそ性差や年代による様々な意識の違いを繰り返し考え続けてきました。自殺された一人ひとりの状況に目を当て、何が課題だったのか、同じことが繰り返されないためにどうすべきなのかということを考え続けることが重要であることは言うまでもありません。しかし、「個人に関わる原因と結果」という単純な発想だけでは自殺を減らすことも、予防することもできません。「結果を防ぐ環境整備」という発想も必要です。
 東日本大震災(3.11)の後、男女とも、ほとんどの世代で自殺が減ってきているのはまさしく、日本人が3.11を通して「命の大切さ」を実感したからです。同じような大災害がなくても自殺を減らすには、結局のところ、一人ひとりの命と向き合い続けられる環境と、辛い時には「はまかだ」ができる環境を作り上げるしかないと思います。
 この日本で、自殺で、毎日80人近くの方が自ら命を絶っておられます。亡くなっている方々、そしてそのご家族のためにも、一人ひとりができることを考え続けたいものです。

第22回AIDS文化フォーラム in 横浜
2015年8月7日(金)~8月9日(日)
http://www.yokohamaymca.org/AIDS/
入場無料