~今月のテーマ『理解できないことへの対応』~
○『青年無罪』
●『言葉が違うと理解できない』
○『彼氏が泊まることを容認する親』
●『中高生の子どもが夜中に帰らないのを心配しない親』
○『婚活の度にセフレが増える人』
●『その人の気持ちになって』
○『孤独に耐えるトレーニング』
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○『青年無罪』
日韓若者フォーラム青年無罪プロジェクトの方から、韓国の若者たちが「罪」と感じていることを教えていただきました。日本人とは大きく異なる受け止め方ですが、大変興味深かったので紹介します。「今、あなたの罪名はなんでしょうか」という問いかけに対して出た声だそうです。分野ごとにまとめてあります。
●教育
社会の様々な圧力に順応した罪(学歴、制度、職場)
大学を卒業していないので学歴を言いたくない罪
勉強嫌いの罪(もし資格とかとってみれば違う人生かも)
●健康
若者時代の苦労を買ってでもやった罪(韓国では、“若者時代の苦労は買ってでもやれ”という諺があるとのこと。日本も同じ?)
●関係性
嫌いなものを嫌った罪
恋愛、結婚ができない罪
順応した、妥協した罪
理解されたい、コミュニケーションしたい、しかし誰も知らないし、関心をもってくれない、誰にも理解できない罪(そう感じる自分が少数派だから)
人の言うことなんか聞くつもりもないくせに悩んでいる罪
自分は自分という罪(タトゥーをする、髪を長くする、詩を読むのが好き、勉強が好き。初対面のあなたのいたずらに傷つけられる)
●仕事
仕事に対する強迫観念を抱く罪
自分のためには少ない給料をもらっても自分のやりたい仕事をしてもいいと思うが、世間の視線、家族のためにはオールドゼネレーションのご機嫌をとるしかない罪
自由に生きている罪
約束を守った罪
●環境
不義が漂う罪(韓国の情報機関、大統領)
最低賃金がめちゃくちゃという罪
若者たちがあまりにも政治に無関心という罪
環境破壊が深刻という罪
●体
二重がない罪
体がスリムじゃないとお店で服を買えない罪(自分が服のサイズに合わせなければならない)
皆さんはどのように受け止め、どう理解したでしょうか。私は「罪」というより、先月号のタイトルにした「生きづらさ」や「欠点」、「悩み」と言ったことを自分だけで背負っている状態を言っているように感じました。ただ、正直に言えば「それって罪???」という思いで、「理解できない」というのが本音です。一方で最近、「理解できないこと」が続いているのですが、「理解できない」として諦めていないでしょうか。そうならないためにも、今月のテーマを「理解できないことへの対応」としました。
『理解できないことへの対応』
●『言葉が違うと理解できない』
韓国の青年たちが考える「罪」も、「罪」という言葉をつけなければ何となく理解できることばかりです。しかし、「罪」や「青年無罪」という言葉にした瞬間、理解できない言葉になってしまいます。人間というのは自分の頭の中を整理するために言葉という便利なツールを手に入れましたが、他の人が全く違う思いで同じ言葉を使っていると混乱します。実はこの「言葉の違い」は若者たちに講演をする際に大変気をつけなければならない重要なポイントです。
例えば中高生にエイズ検査について「保健所で匿名で血液検査ができます」という言葉が理解できない生徒さんが少なくないのです。「『保健所』というところで検査が出来るけど、場所はわからないよね。「エイズ検査」でネットを検索するとどこでやっているかが調べられます。そこに電話をしていつ検査をしてくれるかを調べ、予約をしましょう。検査を予約する時は名前も言わなくてもいいので受けやすいですよね。検査は血を少しだけ、5ccほど取られるだけで、1週間後には結果がわかります。その場で検査結果が出るところもあるのでネットで良く調べてください」と丁寧に説明する必要があります。すなわち「ホケンジョ」という言葉はもともと知らないのでさらっと言っても記憶に残りません。「トクメイ」や「ケツエキケンサ」と言われても普段から話し言葉でこれらの言葉を聞いたことがない子たちは「何を言っているのかわからない」のです。
○『彼氏が泊まることを容認する親』
「娘のところに彼氏が泊まっても、平気な母親が結構な数いるんです。どう考えればいいのでしょうか」という養護教諭の先生からの相談が後を絶ちません。「娘の所に彼氏が泊まるのを容認する親をどう思うか」を一般に問いかけると、さて何パーセントの方が「いいんじゃない」と回答するのでしょうか。そのように「いいんじゃない」と容認、放任している保護者の言い分を考えてみました。
「娘のことをいつもかまってやれるわけじゃないし、一人でいれば寂しいだろうけど、彼氏が来てくれているなら寂しがらずに済むのでいいんじゃないですか? 『セックスをして妊娠することは心配じゃないのですか?』と言われても、逆に子どもができたら家族が増えるし、それはそれで楽しいんじゃないの。学校をやめなければならないかもしれないけど、元々勉強は苦手そうだし、勉強したくなったらまた学校に行けばいいと思うよ」と軽くいなされるのではないでしょうか。
●『中高生の子どもが夜中に帰らないのを心配しない親』
寝屋川市で起きた中学生2人の殺害事件だけではなく、今や深夜に街の中を徘徊している子どもたちが少なくありません。昔は一見していわゆる「不良」とわかる子たちが中心でしたが、今では一見「普通」に見えるこどもたちが家にいられず、彷徨い歩いています。「子どもが8時を過ぎて戻らないことを心配しない親の顔が見たい」と言う方のために、そのような保護者の方の言い分を想像してみました。
「仕事で忙しく、ほとんどかまってやれないので、寂しさを紛らわすために友達の所にでも行っているんじゃない。これまでも大丈夫だったし、今日も大丈夫ですよ。そんなに心配していたらこっちがもちませんから」とあっさりしたものだったり、「狭い家なので、親がパートナーを連れ込んだ時は子もそれなりに気を使うんですよ。結構気が利く子でしょ」と逆に子どもを褒めたりするのでは。
○『婚活の度にセフレが増える人』
「週末(土日)は彼氏以外にこの間の街コンで知り合った人と会った後、別の街コンに参加予定」という女性もいます。自分自身で「ちょっと変?!?」と思ってメールをくださるのですが、やはりやめられません。
ある番組で夜の街を歩き回り、声をかけてきた男たちが「話しを聞いてくれた」、「優しかった」、「かまってくれた」というだけでセックスをしてしまうのをどう思うかといった投げかけがありました。しかし、彼女たちは、「話しを聞いて欲しい」、「優しくして欲しい」、「かまって欲しい」だけなので、その思いに応えてくれた人と一緒にいただけです。
婚活の度にセフレが増えていく彼女も、結局のところ寂しさを紛らわすため、常にそばに誰かに居て欲しいようです。それなら早く結婚して自分の家庭を築けばいいと思うでしょうが、一方的に依存はする、相手に求めることはできても、自分自身が居場所になる余裕がないようで、相手がだんだん疎遠になるとのことでした。でも男はとりあえずセックスができるのであれば声をかけられたら出かけていくので悪循環になってしまうようです。
●『その人の気持ちになって』
人間は自分のことでさえも理解できない存在です。理屈や理想はあっても、実際にはいろいろとトラブルに巻き込まれてしまいます。自分のことさえ理解できないのに、他人のことなど理解できるはずがありません。しかし、不思議なもので、この「理解できない人」の立場に立って言い訳(?)を考え続けると、意外と「そうだよね」、「それもありだよね」と思えるようになるものです。
「イマドキの若者は・・・」と常に大人たちは若い世代が理解できないまま時代は変化し続けていますが、それは同じ時代に、同じ空間に生きているにも関わらず、お互いの経験を共有する余裕がないからのようです。人はいろんな経験をしていると、当然のことながら自分なりの善悪の基準を設けるようになります。しかし、若い時は自分の基準でいいんだろうかという謙虚さと自信のなさから他者の意見を聞くことができますが、還暦を過ぎると(という言葉がわからない人が読むことを想定するならば、「60歳を過ぎると」と表現しなければならないですよね)、自分の余裕のなさを棚上げして、何事も決めつけてしまう人が増えるような気がしています。年配の同士の皆様、気をつけましょうね。
○『孤独に耐えるトレーニング』
人は経験にしか学べないですし、経験を通してしか考えをまとめられません。だからこそ他者を理解するためにも自分の経験を丁寧に振り返る必要があります。
皆さんはどうやって孤独と、寂しさとそれなりに向き合えるようになりましたか。私の場合、中学の時から寮生活を余儀なくされ、そこには家族がいない寂しさに耐えるしかなかったからです。夏休みだけは海外にいた家族と一緒に暮らせましたが、冬休みも春休みも祖父母のところでした。もちろん自分の家よりは居心地がわるかったものの、そこはそこなりの居場所になることも実体験させてもらいました。寮も当然のことながら居場所になりましたので、中学から大学まで複数の居場所を体験させてもらっていたのだと、今更ながら感謝しています。
しかし、寝屋川市で殺されてしまった子たちは友達の家にも入れてもらえず(わが家だったら入れたかと考えると、帰る家がないということが想像できず、「家に帰りなさい」という思いを込めて入れなかったように思います)、かといってまだ2次性徴もまだ途上だったようで、男女で抱き合ってお互いを癒すこともしない本当の「子ども」だったと改めて感じています。
セックスに居場所を求めるようになること自体を否定するつもりはありませんが、セックス以外にも楽しいこと、居場所と感じられることがなければ、セックスに居場所を求め続けても不思議ではありません。
孤独を乗り越えるための居場所の数が減り続ける社会で生き続けることの難しさを、亡くなった子たちが示してくれているように感じてしまいました。で、何ができるかを一人ひとりが考え続けるしかないですね。合掌。