紳也特急 204号

~今月のテーマ『犯罪予防も健康づくり』~

○『学生の感想』
●『なぜ、「犯罪予防も健康づくり」なのか』
○『認識したい早期発見、早期対応の限界』
●『排除の理論は解決という錯覚を生むマジック』
○『善悪は他者に学ぶ』
●『日本が認めている排除の思想』
○『ハイリスクアプローチが大好きな日本人』
●『大学生の感想』
○『自立は依存先を増やすこと』

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○『学生の感想』
 私は彼氏とのセックスに満足できず、他の男の子と体だけの付き合いをしています。彼氏のことが大好きなのにやめられないのですが、「持ち物より持ち主」という言葉を聞いて、自分の欲求に身をまかせるのではなく、もっとちゃんと、よく考えてみようと思いました。(大学1年女子)
→「持ち物より持ち主(が大事)」という言葉は女の子にも響くのですね。

 最初は性の話を90分されるって聞いて、始まる前からすぐ寝ようと思ったけど、始まってすぐ「あいさつできない男はモテない」って言われて度肝を抜かれました。先生の話、すごくたのしかったです。(大学1年女子)
→「あいさつできない男はモテない」も男向けの言葉だったのに、度肝を抜かれたのが女子だったとは・・・・・

 とてもためになったし、自分の今までの性行為を見直す、いいきっかけになった。コンドームをつけた回数より生での回数の方が多かったが、これからはコンドームをつけようって思う。(大学1年男子)
→こういう反応は想定内。

 でも、想定外のことが起こるのが世の中です。障がいを抱えている方々が殺傷された事件に多くの方が憤り、怒り、驚愕、悲しみ、不安、無念、といった感情を抱え、やるせない思いでいることでしょう。一方で今回の事件で繰り返し「相模原」と紹介されていますが、施設は「津久井やまゆり園」という名称です。相模原市は、2006年3月20日に旧神奈川県津久井郡といわれていた津久井町、相模湖町と、2007年3月11日に城山町、藤野町と合併して今の相模原市になりました。かなり昔の話になりますが、1983年から1986年、旧津久井町の青野原診療所に住み込み、津久井やまゆり園にもお邪魔していた関係で他人ごとではありません。最近、「犯罪予防も健康づくり」と伝えようとしている中でこのような事件が起き、犯人やその周囲だけに犯行の原因を追究するマスコミ報道を繰り返し見せつけられるにつけ、自分なりにこの事件を、「犯罪予防も健康づくり」という視点でどう考えればいいかを再考してみました。そこで今月のテーマを「犯罪予防も健康づくり」としました。

『犯罪予防も健康づくり』

●『なぜ、「犯罪予防も健康づくり」なのか』
 皆さんは「予防」と聞くとどのようなイメージを持つでしょうか。「地震の予防」は人間の力が及ばないところの話だというのはすぐに思いつくでしょう。「病気の予防」と聞けば保健医療関係者が専門家だと思うでしょうが、もう少し丁寧に、そして深く、「病気の予防」の根底のところを考えてみてください。
 例えば「自殺予防」の専門家は誰でしょうか。「精神科医」と答えた方が多いでしょうがその答えは「×」です。精神科医はこころの病を抱えた人を治療する専門家です。その精神科医がこころの病を抱えた人を治療することで結果的に自殺を予防している場合もありますが、これはよく言われる早期発見、早期治療にあたる二次予防と言われるものです。もちろん二次予防はすごく大事な視点です。しかし、実際に精神科医にかかっていても自殺してしまう方は少なくありませんし、そもそも精神科医にかからないで自殺してしまう人も数多く存在します。そのため、国はゲートキーパー養成講座を各市町村に実施してもらい、早期発見、早期対応が可能となるシステムを作り上げようとしています。しかし、そのようなシステムが完成し、完全に機能をしたとしても防げない自殺は数多く存在することでしょう。だからこそ、自殺に至る根本原因は何かを考え続け、一つではない根本原因に対する対策を積み上げ続ける努力が求められています。
 自殺予防を含めた健康づくりで今一番注目されているのが地域のつながりと社会参加です。地域のつながりがある人は、社会参加ができている人は健康だということが明らかになっています。一方で罪を犯す人は地域や周囲とのつながり、関係性が希薄で、社会参加ができていないため居場所もなく、気が付けば罪を犯している場合が少なくありません。そして罪を犯し、処罰されれば当然のことながら社会から隔離されたり、日本では死刑というもとには戻せない形になったりします。私が敢えて「犯罪予防も健康づくり」と訴えているのは、このような不健康な状態になることを本気で「(一次)予防」という視点で考えることが必要だと思ってのことです。

○『認識したい早期発見、早期対応の限界』
 犯罪報道で繰り返されている「どうして未然防止ができなかったのか?」、「精神鑑定は適切だったのか?」といった指摘は、問題の本質を突き詰めていない、突き詰められない人たちの思いです。実は健康づくりのプロであるはずの公衆衛生の分野でもこのような思いの人たちが少なくありません。そして最後は当事者、関係者を責めて、とがめて終わりです。
 メタボの人を減らそうと躍起になっていますが、最近、超肥満の人が目につきませんか。「保健師は何をやっている」、「指導方法がなっていない」と雑誌に「いま一度、健康教育を考える PDCAを回していますか?」という特集が組まれます。でも早期発見、早期対応に限界があることは多くのデータが示していますが、地域のつながりの強化や社会参加の促進といっても、どのように仕掛ければいいのかがわからず、手をこまねいているというのが健康づくりの専門家たちの実態です。

●『排除の理論は解決という錯覚を生むマジック』
 健康づくりで二次予防(早期発見、早期対応)の限界を訴え続けているのですが、このことがなかなか浸透しない中、今回の事件が起こりました。そしてこの事件についてAIDS文化フォーラム in 横浜で毎年講演してくださっているインターネットの専門家の宮崎豊久さんと話す中で、「排除の理論は解決という錯覚を生むマジック」だと気づかされました。
 「まったくよくあの体形で平気でいられるよね」とか、「コンドームをつけないからHIV/AIDSに感染するんだよ」とか、「薬物依存は本人の自覚が、責任感が欠落しているから」と切り捨てることで、メタボも、HIV/AIDSも、薬物依存も自分とは別世界だと排除してしまうことで、自分自身の問題として考えることを放棄しているのです。そして他人ごとと思ってしまうと、自分にとってはどうでもいい、解決してしまった、向き合う必要がない問題になっていきます。今回の事件も皆さんにとって他人ごとになっていないでしょうか。

○『善悪は他者に学ぶ』
 人は何が正しいか、善か、間違っているか、悪かを、何に、どうやって学ぶのでしょうか。今回の事件で障がい者虐殺の理由に「ヒトラーの思想が降りてきた」と話していますが、ヒトラーが一世を風靡していた時期があることを考えると、とんでもない思想の人を早期発見し早期対応をすることを考えたり、「その時代の人」が悪いと考えたりするのではなく、人間は時にはとんでもない考え方や方向性に染まってしまう可能性がある存在だと考えた方がいいようです。もちろん戦争に突っ走った経験がある日本人も決してヒトラーを他人ごと意識で見られないですよね。戦争に突っ走ってしまった時は、それこそ周りの誰もが戦争を肯定する方向に向かっていました。すなわち、他者に学んで悪い方向にみんなで向かったのでした。一方で、障がいを抱える人たちだけではなく、誰もが生きやすいまちづくりを目指して、岩手県陸前高田市はノーマライゼーションという言葉がいらないまちづくりを推進しています。しかし、これを裏返せば、障がいを抱えている人を、様々な困難を、生きづらさを抱えている人を排除する世の中だということを認めざるを得ないということでもあります。

●『日本が認めている排除の思想』
 妊婦の血液から胎児の病気の有無を調べる「出生前診断」が行われているのはご存知ですよね。この検査で胎児に異常があるとわかった人のうち334人(96.5%)が中絶を選んでいました。NIPTコンソーシアムという、日本産科婦人科学会の指針により臨床研究として認定された施設で実施されています。もともとこの「研究」に疑問を抱いていましたが、今回の事件を契機に、いま一度「研究」という名目が付いていればOKで、ヒトラーはダメ絶対というこの矛盾を考え直す必要があるのではないでしょうか。ちなみに、今回、中絶という選択をした334人について問題提起しているのではなく、あくまでもこのような仕組みづくりを行った、容認した社会に問題提起をしていることを敢えて付け加えさせてください。

○『ハイリスクアプローチが大好きな日本人』
 先に敢えて「このような仕組みづくりを行った、容認した社会に問題提起をしている」と書かせていただいたのは、健康づくりでも食べ過ぎ、飲み過ぎ、運動不足に起因するメタボ、コンドームを使わないセックスでのHIV感染といった個人の問題、個人の責任を追及する風潮(ハイリスクアプローチ)が日本では強いのですが、実は社会に蔓延するリスクである、関係性の希薄化や自己肯定感の低下へのアプローチ(ポピュレーションアプローチ)をしない限り、問題は解決しません。しかし、先に書いた出生前診断についても、「じゃあ、岩室さんはこの選択をした334人を責めるのですか」といった指摘が必ず出てきます。
 今回の津久井やまゆり園の事件も、犯人に責任があることは議論の余地がないのですが、そもそも彼の思いを後押しするような社会環境が数多くあることを棚上げして、個人の責任や、個人の背景、成育歴、治療歴等をほじくり返すだけだと、また同じことが繰り返されるだけではないでしょうか。

●『大学生の感想』
 少し前に私が現代社会の課題に関する講演した時の大学生の感想です。
 TwitterやFacebookでの悪ふざけ、単にむかついた、殺してみたかったという身勝手な犯罪は、誰かに見てもらいたかった、気に障ったことを相手に言葉で伝えたり、誰かに話を聞いてもらったりすることができなかった、自分の反社会的な欲求を解消する術を知らなかった、というようなコミュニケーション不足を見て取れると思いました。
 親にひかれたレールを歩んで来たら、自分で何も決めることができないし、挫折に耐えることはできません。親の愛情がひいては犯罪のきっかけを生むことにもなりかねないのだと気づきました。理解できないと思っている犯罪も、私を含め、誰もが起こし得るのではないかという考えにたどり着き怖くなりました。

○『自立は依存先を増やすこと』
 8月5日(金)に始まる2016AIDS文化フォーラム in 横浜のオープニングにご登壇いただく熊谷晋一郎先生の言葉、「自立は依存先を増やすこと」を改めて噛みしめていました。とりあえず自立しているつもりの岩室紳也は、多くの依存先をもっています。逆に今回の事件の犯人はどれだけ多くの依存先を持っていたでしょうか。
 健康づくりの分野で重要視されている地域のつながりの強化は簡単なことではありません。つながることが面倒だと思っている人が増えている中で、善悪を他者に学ぶことなく、自分の非常に身勝手な思いをネットにアップすることでますます間違った方向で自己肯定感を高め、結果的にとんでもない犯罪を引き起こすことになるのは、犯人やその周囲だけの問題ではなく、社会を構成する一人ひとりの責任と考え、犯罪予防も健康づくりという視点で考え続ける必要性を今回の事件が教えてくれていると強く感じました。