紳也特急 205号

~今月のテーマ『対立軸とその奥にあること』~

○『経験に学ぶ』
●『「相模原」と「津久井」』
○『「へき地」と「都会」』
●『「県直営施設」と「公設民営施設」』
○『「犯人」と「被害者」』
●『「自分ごと意識」と「他人ごと意識」』
○『自立は依存先を増やすこと』
●『紅音ほたるさんの逝去』

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○『経験に学ぶ』

 セックスで居場所を求めている人たちの話を見た時、私もそうだったのかな?と思いました。もう辞めます。「好き」と「居場所」が混ざってしまっていたと気がする。これは自分だけだと思ったら他の人もいることを知った(大学1年生、女子)

 人は経験から学ぶ。経験していないことは他人事と思う。経験していない人に何を言われても響かない。自分はデートDVとか、普通のDVもされたことがあって、その時は誰にも言えなかった。でもけがが隠せなくなって相談した。(大学1年生、女子)

 私はSEXをくすりのように思っていました。不安な時や辛い時も行為に到ると忘れられます。でも、先生は「そういう人はほど良いサポーターになれます」とお話しくださいました。少し救われました。また、通院している精神科の先生に言われた「分散依存」が自立にまでつながるのだと知り、驚きました。私は何かに依存しやすい性格です。けれど、少しずついろんなものに依存して、自立につなげていければという思いです。そして、パートナーとの性行為の際には、感染症に気を付けたいです。(大学1年生、女子)

 講演をする面白さは、その後にいただく感想やメールでの質問にあります。講演の時の反応ももちろん気になりますが、講演後の感想や質問を読ませてもらうと、私が何かを考えるきっかけになったのかなと思え、また私も考える題材をいただけます。「好き」と「居場所」。「経験」と「未経験」。「依存」と「自立」。このように「善」と「悪」のような対立軸で物事を考える習慣が若者たちを含めた社会に浸透していることがいろんな事件の背景にあるように思えてなりません。そこで、今月のテーマを「対立軸とその奥にあること」としました。

『対立軸とその奥にあること』

●『「相模原」と「津久井」』
 相模原の事件から1か月以上が経った、というとすぐに皆さんは障がい者施設での殺人事件を思い浮かべることと思います。個人的にはこの事件は「相模原」の事件ではなく、「津久井」の事件だと考えています。先月号の紳也特急にも少し触れましたが、津久井やまゆり園の事件は旧津久井郡相模湖町(現相模原市緑区)にあった施設での事件です。「公務員を減らせ」という国民的合意の下、市町村合併が行われ、相模原市に吸収合併された津久井郡の相模湖町にあった施設で事件が起こったのです。
 神奈川県は都会と思っている人こそ、ぜひ現在の相模原市の地図を見て、実際に相模原市役所や相模原市保健所から津久井やまゆり園までの道を訪ねてみてください。車で移動しても順調に行って1時間、20キロほどです。われわれ自治医大卒業生を配置しなければ医者の確保が難しい、いわゆるへき地と言われるところにある施設です。へき地というと地元の人は怒るでしょうが、高い給料を支払っても医者が確保できない地域なのです。そのへき地の「津久井」と、小田急線、京王線、JR横浜線、JR相模線の4路線が走っている都会の「相模原」を同一レベルで議論すること自体に違和感を禁じ得ません。

○『「へき地」と「都会」』
 東日本大震災以降、毎月お邪魔し続けている陸前高田市も医師の確保に昔から、そして今でも非常に苦労をしている地域です。人はどこで生きていても病気になります。病気になった時、今の日本で都会に住んでいる人は「どこの病院に行こうか」と悩みますが、へき地だと近くに診てくれる医者がいないということもあります。もちろん頑張っておられる先生も数多くいますが、自治医科大学というへき地医療を支えるための大学を作っても、医学部にへき地勤務を義務付ける地域枠というのを作っても、その人たちを一生縛り付けるわけにはいかないため、医師不足が解消できていません。
 へき地での人材確保の難しさは医療の分野に限ったことではなく、それこそ今回事件が起きた福祉の分野でも同じ状況です。さらに現実問題として福祉の分野では「寿退職」ということが一般的です。すなわち、結婚を機に、退職して転職しないと給料が安すぎて、将来家族を養うことが難しい現状があります。もちろんそのような厳しい条件の中で頑張っている多くの方々を存じ上げていますが、そのような事実を知らない国民の方も多いのではないでしょうか。

●『「県直営施設」と「公設民営施設」』
 公務員削減の大号令の結果、都道府県の公務員はどんどん削減されています。津久井やまゆり園も例外ではなく、かつては津久井やまゆり園の職員は神奈川県の職員、すなわち公務員でした。しかし、津久井やまゆり園をはじめとした県が直接運営する施設はどんどん削減され、津久井やまゆり園は「公設民営」、すなわち、施設の管理は神奈川県が行うが、職員の確保を含めた施設の運営は民間業者にお願いするということになりました。実際、今回施設の建て替えについては神奈川県が主導的に議論しているというのはそのような施設の運営形式になっているからです。
 ここで重要なのは、公務員であれば、例えば県のほぼ中央にある県立の施設から津久井に転勤を命じられても、基本的に給与は変わらず、転勤も拒否できません。しかし、民間の施設だと給与面も厳しい条件の上、勤務地が医者の確保も難しいへき地となります。わかりやすく言うと、神奈川県の公務員に応募する人はいても、へき地の民間施設に応募する人は非常に少ないというのが現状です。もちろん、そのような条件の中でまじめに頑張っておられる方も多いですし、今回の事件の犯人の責任は言うまでもありません。しかし、「公設民営」を推し進めてきた国民的合意の結果が今回の事件につながったことは否定できないと考えています。

○『「犯人」と「被害者」』
 今回の事件の報道では、犯人と被害者に焦点が当てられ、その奥にある今回書かせていただいている社会的な問題点はほとんど報道されていません。犯人の行動を未然に防止するための精神障がい者の措置方法を変更する議論が行われていますが、どのような制度を作っても、制度には限界があります。そこをどのようにカバーすべきなのかという議論がほとんどされていないのはなぜでしょうか。障がいを抱えている当事者やご家族、関係者はいろいろと思うところがあるのでしょうが、当事者ではない人たちにとってはどこか他人ごとではないでしょうか。

●『「自分ごと意識」と「他人ごと意識」』
 少年犯罪も多発していますが、川崎で起きた事件と同じようなことが埼玉で起きた時に、「あんなに川崎のことが報道されたのに・・・」と発言された方にはびっくりしてしまいました。今回埼玉で起きた事件の若者たちやその親が新聞を、ニュース番組をどれだけ見ていたでしょうか。新聞を読んでいない人が年々増えています。ニュース番組も見ません。そもそも川崎の事件の認知度調査をすれば「知らない」という人が多いのではないでしょうか。いやいや、「埼玉の事件って何?」と思っている人もいたりして・・・・

○『自立は依存先を増やすこと』
 二者択一。対立軸。善悪。原因と結果。物事を考える時、対立軸で考えると何となくわかったような気になります。しかし、「相模原」と「津久井」も、「へき地」と「都会」も、「県直営施設」と「公設民営施設」も、「犯人」と「被害者」も、「自分ごと意識」と「他人ごと意識」も、結局のところ、もっと深いところを、奥にある問題点を、いろんな視点で考えていかなければそこにある課題も、解決方法も、予防方法も見えてきません。
 熊谷晋一郎先生の言葉、「自立は依存先を増やすこと」が教えてくださっていることは、いろんな問題を克服するには、対立軸だけで考えるのではなく、対立軸の奥に何があるのかを、多様な視点で考え続けることが大事だけれど、それができないのがこれまたわれわれ人間の現実だということでしょうか。

●『紅音ほたるさんの逝去』
 中高生からのライフ&セックス サバイバルガイド(日本評論社)を出したばかりなのに、一緒にこの本を作った元AV女優の紅音ほたるさんが亡くなられました。仲間が亡くなるというのは本当につらいですね。

ご冥福をお祈りいたします。