紳也特急 206号

~今月のテーマ『メール・SNSはコミュニケーションツールではない』~

○『講演依頼でのやり取り』
●『息子のチンチンを剥かれてしまった』
○『岩室の返事』
●『お母さんから』
○『コミュニケーションが成立しなくなっている?』
●『目から入る情報はわかったような気になる』
○『「否定」が生まれる会話、生まれないネット』
●『メールが情報伝達手段にならなくなった』

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○『講演依頼でのやり取り』
 講演会を年間166回(昨年度実績)行っていると、そのやり取りだけで事務量が膨大になります。そのため、申し込みはホームページから、やりとりはメールで、といった工夫でミスがないよう、また、事務量を減らそうとしています。しかし、最近、「何でこんな連絡が」といったことが繰り返されています。

 いくつか間違えのないように確認させていただきたいことがございまして連絡いたしました。
 1、お車で来校
 2、準備物等
   ワイヤレスマイク、ホワイトボード、長テーブル1
 3、振込先〇〇銀行(金融機関コード0000)
   〇〇支店(店番000)
   普通口座000000
   岩室紳也(イワムロ シンヤ)
 4、源泉徴収表は個人宛送付
       以上で間違いございませんでしょうか?

 以上は全部私が事前に送ったメールのコピペなので「間違いありません」と返事をしたらすぐに次のメールが来ました。

 岩室先生個人の住所については下記の住所でよろしいでしょうか。
 〒000-0000 横浜市〇〇区〇〇1-2-3-456
 事務が源泉徴収は個人あてなので個人の住所を知りたい、ということでした。
 申し訳ございません。ご解答よろしくお願いいたします。

 思わず目が点になってしまいました。
 事前に送っていたメールに自宅の住所もちゃんと書いてあるのですが、それを読んでいないようでした。ちなみに、そのメールには大変失礼だと思いながらも

***********************
 なお、大変失礼ですが、最近、このメールに記載されているにも関わらず、同じことについての問い合わせが多くなっています。このメールを印刷の上、内容を確認していただきますようお願いします。
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と記載しています。
 実はこのようなやりとりは今回だけではありません。私の書き方が悪いと反省しつつ、文面を修正したり、工夫したりし続けているのですが、このようなコミュニケーションのズレが後を絶ちません。

 そこで、今月のテーマを
「メール・SNSはコミュニケーションツールではない」としました。

『メール・SNSはコミュニケーションツールではない』

●『息子のチンチンを剥かれてしまった』
 どうしてよいかわからず、こちらにメールをさせて頂きました。
 今日息子(4歳)がチンチンが痛いというので、泌尿器科に行ったところなんの説明もないまま皮を剥かれてしまいました。私は自然に剥ければ派だった上、またあのように夜と朝3日間剥いてくださいと言われましたがとても出来そうにありません。もちろん息子はチンチンを触らせたがりません。このまま放置するとまた癒着するのは理解できますが、元通りではなく前より更に癒着する可能性ありますか?一回剥かれてしまったらもう後戻りせずやり続けなければならないのでしょうか?
 長々申し訳ありません。どうか返信下さい。

○『岩室の返事』
 こんばんは。息子さん、災難でしたね。
 ただ、今回のことをいい方向に持って行ってあげてください。
 まず、お母さんとしては「自然に剥ければ派」とのことですが、少々誤解があると思います。最近は、大学生になってもむいたことがない、むくという発想もない男子がすごく増えています。このような男子がいることがいまの「自然」であって、「自然に剥けない時代」になっていることはぜひ知っておいてください。
 また、意図したことかどうかはともかく、せっかくむいてしまったのであればぜひこの状況を保ってあげてください。そのためにも痛がってもこの3日間はむき続けてあげてください。また、むいて軟膏を塗ることで痛みも早く収まります。
 このまま放置したからといって前より癒着するということはありませんが、辛い思いをいい方向にもっていってあげてください。
 お大事に。

●『お母さんから』
 お早いお返事ありがとうございます。確かに誤解していた所がかなりあります。こうなったら今のうちに剥いてしまうのが息子の為かもしれません。返信頂いた時は涙が出ました。本当に本当にありがとうございました。

○『コミュニケーションが成立しなくなっている?』
 なぜこのようなコミュニケーション不足からくるトラブルが後を絶たないのだろうと考えていた時に、ブラジルで緩和医療を専門にしている医者の従弟と久しぶりに話す機会がありました。「緩和医療」と聞くと私を含めて多くの人は、がんの末期状態の苦痛を緩和することがメインの仕事と思うでしょうが、従弟は「それも大事だが、診断がついた時からきちんと納得して医療を受けられる環境整備をすることが大事で、そのためにいまは医者のコミュニケーション能力のアップに取り組んでいる」と教えてくれました。
 思わず「これだ!」と思いました。先に紹介したお母さんの苦悩、怒り、いたたまれない思いを緩和するには、というか、そもそもそのような思いにならないようにすることが医療者として当然のことです。しかし、実は医療者に限らず、コミュニケーション能力が低下している人が増えているのは(私もその一人だと思っていますが)どうしてでしょうか。

●『目から入る情報はわかったような気になる』
 精神科医の北山修先生が「最後の授業(みすず書房)」という本の中で「目から入る情報はわかったような気になるが記憶に残らない。耳から入る情報は想像力を育み記憶に残る」とネット社会に対する警鐘を鳴らされています。
 インターネットは新しいコミュニケーションツール(メール、SNS、掲示板、ホームページ等)を生んだとされていますが、本当にそうなのでしょうか。コミュニケーションが成立するためには、双方が、お互いに伝えようとしていることをきちんと理解し(もちろん反発する気持ちを含めて)あえることを目指したものです。では、なぜインターネット(メール、SNS、掲示板、ホームページ等)がコミュニケーションツールにならないと岩室が考えているのか。
 自分自身が「分かったような気になる」時を考えてみてください。わからない時は「なぜ?」、「どうして?」と次から次へと頭の中に「?」が浮かび、そのことを考え続けますが、わかったと思った瞬間にそのことについて深く考えないどころか、思考は次のステップに移っています。
 SNSや掲示板でトラブルがおこるのも、結局のところ相手が発信した文字情報をどう考えるか、どう受け止めるかはすべて「受け手」次第であって、相手の思いや感情は一切配慮されません。しかし、face to faceのコミュニケーションでは、情報を発信する側も言葉に加えて感情、表情が伝わりますし、受け手の反応を見て、思い通りに伝わっているかを瞬時に判断することで、必要に応じて修正することができます。すなわち、文字情報は情報を伝達するためのツール、手段ではあありますが、双方向のコミュニケーションのツールにはなり得ていません。

○『「否定」が生まれる会話、生まれないネット』
 誰かと会話をしていると、「そういう意味じゃなくて」とか、「違うよ、こういうこと」といった「否定」、すなわち伝え手の思いと違う受け止めを自分がしているということに気づかされます。しかし、ネット(SNSやメール)では相手の否定は入らないため、気が付けば自分の解釈が否定される経験を全く積んでいないのです。
 最近、よく誰かに何かを言われると「全否定、人格までも否定された」と受け取る人がいますが、どうしてそうなるのかと言えば、そもそも一度も否定された経験がないからのようです。

●『メールが情報伝達手段にならなくなった』
 日常生活の中に入り込んでいるメールやSNS等で情報のやり取りを便利にできるようになった結果、われわれはこれらの手段を勝手に「新しい手段」と位置づけています。確かにこれらの手段は「情報伝達ツール手段」ですが、コミュニケーションというのは情報伝達だけではありません。さらに言うと、「情報」は受け取り手の勝手な思い込みで、180度違う解釈ができてしまう場合が少なくありません。
 メールやSNSに慣れてしまうと、人は文字情報を自分勝手に解釈する癖、習性、習慣を身につけてしまいます。一応そこに書かれている文字を読みます、というか目にしますので、自分に都合がいいように解釈し、記憶に残らないようです。岩室からの講演依頼に関する手続きの文書も「はいはい」と読みながら、自分が手続きを迫られると、岩室からのメールを読み直すことをせず、自分が気になったところを岩室紳也が書いたという事実も想像できないままコピペで確認したり、職場の求めに応じて「間違っていないですよね」と書いた本人(岩室)に尋ねるのでしょうね。もちろんそのメールが岩室から送られたものだということは完全に理解の外にあるのでしょう。
 ネットで様々な問題が起きていますが、その根底は「自分勝手な解釈をする訓練のたまもの」なのかもしれません。これからは「コミュニケーションが大事」ではなく、メールやSNS等の文字のやり取りはコミュニケーションではなく、情報が勝手に解釈される危険性を伴った情報伝達ツールFace to faceの、口と耳と表情を使った会話がコミュニケーションと言わないといけないようです。難しい時代になりましたね。