紳也特急 219号

~今月のテーマ『依存の反対はつながり・絆・居場所』~

●『PSA検診はスクリーニングにならず、過剰治療の原因に』
○『薬物依存症も診る泌尿器科医』
●『依存の原因は排除の発想』
○『失敗したことが言える場所』
●『いじめは依存症』
○『いじめの24時間化』
●『ダメ絶対では撲滅できないいじめ』

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●『PSA検診はスクリーニングにならず、過剰治療の原因に』
 先月は久しぶりに気の重い原稿を書かせてもらいました。「前立腺がん検診はスクリーニングになっていない上に、過剰治療を引き起こしている」という趣旨のものでした。これまでにも、このメルマガにも、医事新報にも書いてきたのですが、今回、依頼があったのが最初にこのテーマで書かせてもらった医学書院の「公衆衛生」という雑誌でした。基本的な内容は前に書いた通りですが、前の原稿ではかなり遠慮がちに書き、焦点をぼかしていたと反省しています。いつも「できる人ができることをしましょう」とか、「思ったことをちゃんと言わなければだめ」と言ったりしているので、前立腺がん検診で問題提起ができるのは岩室紳也しかないという思いで一念発起させていただきました。
 「あなたにしかできないこと」というとすごいことをしなければならないと思うかもしれませんが、逆に「誰にでもできること」がトラブルの原因になっているのが「ネットでのいいね」や「いじめ」ではないでしょうか。その思いを強くさせてくれたのが以下の薬物依存に関するYouTubeでした。
 https://www.youtube.com/watch?time_continue=7&v=ao8L-0nSYzg そこに出てくる「Addictionの反対はConnection」を自分なりに訳した「依存の反対はつながり・絆・居場所」を今月のテーマにしました。

『依存の反対はつながり・絆・居場所』

○『薬物依存症も診る泌尿器科医』
 依存症のプライマリケア体制づくり」という発表を厚木市立病院の薬剤師さんとします。11月26日の午前には学会と同時並行で一般公開されるTOKYO AIDS WEEKSというイベントで2時間、じっくり同じ話をします。
 長年HIV/AIDSの診療をし、患者さんの中に薬物使用者、薬物依存症の方がいるのを知っていたにも関わらず、自分が関わる、自分の外来で薬物依存症も診ることになるとは思ってもいませんでした。松本俊彦先生という日本の薬物依存症のトップリーダーとお友達であっても、何度も彼の話を聞いていても、薬物はどこか「他人ごと」でした。
 ところが自分の患者さんが刑務所から出て「これから更生、頑張ります」と言ってくれたのに、その人に寄り添い、伴走するという発想もないまま、その人が入った施設が厚木市立病院から遠いという理由で、その施設に近いHIV/AIDSの拠点病院を紹介していました。そしてその人が再犯したことを留守電に残したのを聞き「岩室紳也は依存症のことを何もわかっていなかった」と思い知らされました。改めて薬物依存症について勉強し、HIV診療チームだからこそできる薬物使用者、薬物依存症のプライマリケアがあることに気づかされました。

●『依存の原因は排除の発想』
 前述のYouTubeにあるように、薬物依存症の原因は薬物の直接的な作用ではないことがネズミの実験でも、ベトナム戦争でも証明されています。
 ケージに一匹ずつ入れられたネズミに薬物入りの水と、普通の水を与えると、ほとんどが薬物入りの水を飲み続け、やがて死にます。これが「薬物=依存症の直接原因」の理論の基礎となった実験です。ところが、この実験方法に疑問を持った人が、ネズミが快適に、大勢の仲間と生活ができる環境を作った上で薬物入りの水と、普通の水を与えたところ、ほとんどのネズミが普通の水を飲み、薬物入りの水を飲んだネズミも死ぬほどは飲まず、依存の原因はつながり・絆・居場所不足だと証明されました。
 ベトナム戦争に派兵された兵士の20%が薬物を使っていたにもかかわらず、帰国後、依存症になったのはその中の5%だけ。95%は家族のもとに、一緒にいたい人とつながる、絆のある居場所に戻っただけで、リハビリの必要もなく、禁断症状がでることもなく、普通に社会復帰しました。まさしく「共に生きる」環境が、薬物に依存することなく生きていくために必要不可欠なことであったことの証です。

○『失敗したことが言える場所』
 現代社会は「共に生きる」の理念に逆行し、「悪い奴らは排除すればいい」という発想だらけです。違法薬物で捕まった人たちを刑務所に入れ、社会から排除し、自分一人の自覚で更生することを求めています。「だめ、絶対」のポスターは彼らを孤独、孤立に追いやっているだけで、孤立した薬物使用者は薬物を通して更なる仲間を作り、自分の孤独を埋め合わせするために、ますます薬物を使い、最後は依存症になっています。
 ポルトガルでは薬物使用を非犯罪化し、薬物を使った人たちを刑務所に入れるのではなく、ちゃんと治療の対象として精神科医やカウンセラー等が関わり、自らの孤独、孤立、生きづらさを解消する方向で支援をし、薬物依存症を減らしています。
 松本俊彦先生は薬物依存症の支援で大事なことは「薬物を使った、すなわち本来ならしてはいけない失敗をしてしまったことが正直に言えるつながりと場所だ」とおっしゃっています。

●『いじめは依存症』
 人間は自分の孤独を埋め合わせるため、薬物、セックス、ギャンブル、SNSなどに依存しています。依存(Addiction)の反対はつながり(Connection)と言われていることに学べば、いじめも依存症の一つと言えます。
 いじめが連続的に行われる理由は、いじめる側にメリットがあるからです。自分が不愉快に感じたことをしている人との付き合い方で一番簡単な解決方法は「排除」です。排除は一人で行っても実感できる効果はありませんが、大勢で誰かを排除する、いじめると、いじめる側は仲間とつながり、そこが居場所になり、安心感を得ます。すなわち、他人をいじめている人たちは実はどこかで孤独を感じており、孤立している人たちがつながりを求めた結果がいじめだと言えないでしょうか。
 子ども同士のいじめに介入してくるモンスターペアレンツも、他人に強い口調で文句を言うことで自分と子どもとのギャップだけではなく、自分自身の孤立を穴埋めしています。自分の子ではなくあの子が悪い、あの先生が悪いと誰かを責めることで、子どもをかばっているいい親を演じられる場をもらい、自分の居場所を確認しています。本来、親であれば、子どもたちや先生たちとの話し合いの場に同席し、それぞれの言い分を聞き、少し大所高所から状況を見ることが求められているはずです。しかし、人とつながる経験が乏しい、ほだしを通したお互い様の経験もないまま親になってしまった人たちは、相手を責め、排除することでしか自分の存在意義、居場所を見いだせないようです。

○『いじめの24時間化』
 同じいじめでも、ある程度のところで止まり、「ごめんね」で解決できているいじめもあれば、陰湿な、継続的ないじめが続き、時にはいじめられた側が自殺するという最悪の結果になってしまういじめもあります。
 生身のやり取りであれば相手の感情、思い、感覚に気づくことができます。しかし、SNSでは自分自身の感情、思い、感覚だけで、書き込みも、読み込みも行われます。SNSでは相手の感情、思い、感覚は感じられません。SNSに書き込んでいる人には「快感」こそあれ「不快感」はほぼないでしょう。一方で、書き込みをいじめと感じている側は「不快感」しか感じられないのがSNSです。感情、思い、感覚も伝わる生身のやり取りと異なり、SNSに書かれていることは消えることなく、ず~っと、それこそ24時間、365日、その人を悩ますことになります。SNSはいじめの24時間化をもたらしてしまったのです。

●『ダメ絶対では撲滅できないいじめ』
 いじめを本当に撲滅したいのであれば、他の依存症対策の方向性に学び、本質的なところから取り組む必要があります。これまでの薬物撲滅対策の「だめ、絶対運動」が成功していないように、いじめ撲滅を声高に叫んでも効果は望めません。「いじめを早期に発見し、早期に対応しましょう」と言っている人もいますが、国立教育政策研究所が明言しているように、そのような姿勢ではいじめは減りません。
 「SNSの適切な使い方をどう教えるか、大人も子供も真剣に考える必要がある」とコメントしている自称専門家には辟易としてしまいます。本当にいじめを減らしたいのであれば、いじめている本人が周りの人たちとのつながり・絆・居場所、すなわち信頼できる関係性を構築できるように支援するしかありません。
 しかし、そもそも「つながり」を作ることが苦手な人たちは、「絆」の中の「ほだし」、手かせ、足かせ、束縛、迷惑がうざく、お互い様の気持ちになれません。それでも自分の「居場所」だけは確保したく、他人をいじめる中で自分の「居場所」を確保しています。
 薬物対策もそうですが、関わる人を増やし、排除ではなく、お互いの弱さを、失敗を認め合う社会づくりを丁寧にし続けるしかありません。でも、それができないから1年間でいじめが9万件以上増えたという報道になっています。日本中にいろんな依存症が蔓延している恐ろしい時代になったからこそ、「つながり・絆・居場所」を考え続けたいものです。