紳也特急 223号

~今月のテーマ『話したい』~

●『大人の感想』
○『話したいこと』
●『SOS出し方教育?』
○『出せないのがSOS』
●『話すことでしか癒されない』
○『洪ちゃんが亡くなりました』
●『SOSを消しあう社会を』

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●『大人の感想』
 子どもの思春期への心構えを聞くつもり出来ましたが、自己カウンセリングのような、目からウロコの講座でした。
 自分自身が挫折を乗り越え変わったのは、自分自身のおごりがなくなったからだけだと思っていましたが、おごりがなくなり、人に対する壁がなくなり、多くの人とコミュニケーションをとり、つながることができるようになったから変わったのだと気がつきました。
 いま、子育てでの悩みは中学受験をするかしないかだったのですが、あまり大した悩みではなかったと思えるようになりました。
 カーリング子育てにならないよう、もう一度、冷静に、何が大切かを考えたいと思いました。
 自分の失敗談や夫の悪の武勇伝などは話したくなく、特に悪の武勇伝は話して欲しくなかったのですが、それもいいかな、話してみようかなと思いました。
 このような感想をいただくと、実は大人たちもいろんな話を聞きたがっているのかなと思いました。

 平昌オリンピックが終わり、そだねーカーリングチームが銅メダルを取ったばかりなので敢えて言い訳をします。個人的には競技としてのカーリングは大好きです。銅メダルの瞬間も見ていて涙していました。ここでいうカーリング子育てとは、「子どもが進む道を掃き清め、躓かないように、障害物に当たらないよう、貴方の目標はここ(例えば〇〇大学)ですよ」と親が全部のお膳立てをするカーリング子育てはやめましょう、という意味です。

 でも、この時期、やはり子どもたち向けの講演オンパレードです。講演をした学校の養護教諭の先生から次のような情報をいただきました。

 昨日、男子生徒が保健室にやってきて、約1時間話していきました。先生の講話の際に、目立っていた生徒です。いろんな話が出てきました。話を聞いてみると、自分が抱える不安や心配をいえる友達が彼にはいないようでした。「また来ます」といって帰っていきました。
 今日も、別の男子生徒が「話したい」といってきました。この生徒も自分の心配事を友達にも親にもいえずにいました。私と話して「少し楽になったので、母親にも話してみる」「友達にもいってみようかな」といっていました。週明けにまた来るそうです。

 カールロジャーズの言葉、「人は話すことで癒される」と伝えるだけで「話したい」と言えて、実際に「話す」という行動につなげられるようです。そこで今月のテーマを「話したい」としました。

『話したい』

○『話したいこと』
 いま、皆さんは何を、誰と話したいですか。こう聞かれてもおそらく戸惑います。普通、誰かと話すとき、「こんなことを話したいから話を聞いてください」と思って話す人はあまりいません。もちろん「相談したい」という明確な目的を持っていたら「聞いて」となるでしょう。しかし、多くの場合は、何となくその場の雰囲気や自分のその時の気持ちから自然と言葉が出て、そのキャッチボールを繰り返していると思います。そして、気が付けば悩みが解消していたり、癒されたりしています。

●『SOS出し方教育?』
 ところが、若者たちの自殺、自死を減らそうということで、国はSOSの出し方教育を推進しようとしています。残念ながら自死された方の意見を聞くことができないのですが、おそらく「SOSを出せなかったから自死してしまったんだ」とおっしゃることでしょう。じゃあ、やはり「SOSの出し方教育が大事」と思う人が多くなるでしょう。しかし、そもそも生きている、生身の人で、自分から積極的にSOSを出している人、出せている人はどれだけいるのでしょうか。そんな思いを講演の中でぶつけたところ、次のような反応をいただきました。

 自分の痛みを伝える事ができる関係。自分の弱さも見せられる関係。どうやって構築していくんだろう。すぐに答えは出ないけれど、とにかく、私がこの疑問を心においていこうと思います。今回の講話を受けてどんな風に進めていこうか。私自身も迷いの毎日ですが、少しずつ前に進めたら・・・と感じました。でも、先生の講演を聴いて、私の中で何か「覚悟」のようなものができたように思います。感謝いたします。

 これは保健室で日々いろんな相談を受ける立場の養護教諭の先生の言葉です。答えはないけど覚悟ができた。このことがすごく大事だけど、この覚悟がないまま「困ったらSOSを出してね」と答えを言うことで自分の責任を果たしたと勘違いしている人とどこが違うのでしょうか。

○『出せないのがSOS』
 おなかが痛い。頭が痛い。胸が痛い。このような痛みだったら、おそらく誰でも他人に言えます。それは同じような痛みを他の人も経験していることをどこかで学んでいるからです。「おなかが痛い」と言えば同じ思いをしている他の人に理解してもらえるという期待感を事前にどこかで学習しているからです。でも、次のようなこともありました。30年以上前の話ですが、「胸が痛い」と訴えていた人を調べてみると、最終的な診断は「恋の病」でした。その人は他の人と、「恋をすると胸が苦しくなる、胸が痛くなるということを話したことがなかった」と言っていました。でも「痛み」は人に言っていいものだと思ったので素直に「胸が痛い」と訴え、医者にかかったとのことでした。
 一方で、SOSを出さなければならないような心の痛みというのは自分の中でも整理が思うようにいかないため、それを言語化して他人に伝えること自体がすごく難しいのです。そのような時に有効とされるカウンセリングとは、カウンセラーの助けを得て、自分の心の闇を整理してもらう方法です。確かにカウンセラーにつながろうとする意識自体がSOSを出していることになりますが、自分の弱みを人前に出せない人に「相談しましょう」ときれいごとを言うのはいかがなものでしょうか。

●『話すことでしか癒されない』
 薬物依存症から回復するには「薬物を使いたい」ということが話せる環境が必要です。私の患者さんで「使っちゃった」と私に、病院の職員に話すことで、再び使わないよう頑張れている人もいます。失恋のストレスを乗り越えるには友達に話すしかありません。陸前高田市で展開している「はまってけらいん、かだってけらいん運動(あつまっておしゃべりをしよう運動)」で実際に自殺も減っています。このように中高生に話すと、彼らははじめて「話していいんだ」と思うようです。
 「人と会って話す」ということと、「LINE、SNSで話す」ということの違いを実感したことはありますか。癌を患った仲間とLINEでつながり、もちろん見舞いに行ったりするなかで、「やっぱり会って話すことでしか癒されない」ということを、身をもって気づかされました。

○『洪ちゃんが亡くなりました』
 AIDS文化フォーラム in 横浜に初期の頃から来てくれていた洪ちゃん、洪久夫さんが2月11日に膵臓がんのため亡くなりました。2016年12月4日、新宿の京王プラザホテルで行われた、荻窪病院の花房秀次先生お別れの会の後、膵臓がんと診断されたばかりの洪ちゃんと、AIDS文化フォーラム in 横浜、AIDS文化フォーラム in 陸前高田の仲間と飲みながら手術に向けて頑張ろうと決起集会をしてから1年余り。その後もLINEや電話で毎日のように、それこそ一日に何度もやり取りをしながら、常に前向きに病気と闘ってくれていました。2018年5月のAIDS文化フォーラム in 佐賀、そして8月のAIDS文化フォーラム in 横浜にでることを目指し続けていました。
 頑張っていたとはいえ、お見舞いに来てくれる人がそれなりにいたとはいえ、いろんな心配事があったことは間違いありません。最後の方は検査結果を含め、LINEで一日に何回もやり取りをしていたのですが、会いに行って、ただ話しているだけで、看護師さんが「ずいぶん元気そうになりましたね」と言ってくれるぐらい、表情も、顔色もよくなったのは訪ねた私自身が実感していました。亡くなる数時間前に一緒に撮ってFacebookにアップした写真も一所懸命笑っているいい顔でした。

●『SOSを消しあう社会を』
 SOSって何なのだろうと思いました。洪ちゃんは確かにSOSを出していたと思いますが、同時に岩室も「誰か、何とかしてくれ。洪ちゃんを助けてくれ」という思いでした。でも、それができないこともわかっていました。だから二人で話して、二人で解決できることは解決し、解決できないことは他の人に話し、「仕方がないよね」と気が付けば自分を納得させ、SOSをお互いに消しあっていたように思います。
 SOSを「助けて」というシグナルと思うと、助けるために何ができるのかを考えてしまいます。しかし、SOSを危機的な状態と考えると、何ができるかを考える時間的余裕があるはずがありません。ただただ一緒に話し、気が付けば気持ちが少しは癒されている。その時間をやり過ごしているのでいいんだと洪ちゃんが改めて教えてくれていました。治らない病を抱えても、人はその一瞬一瞬を生きています。だからこそ、SOSを出さなければならない危機的な状況になった時、一人ではなく、一人でも多くの人とその状況を共有することが求められています。それも会った上で、「話す」というコミュニケーションで。
 広辞苑によると、「コミュニケーション=社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・記号その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする」とあります。SNSは単に言語・記号を媒介とした視覚に訴えるものでしかありません。知覚・感情の伝達のためには、相手と会って、お互いの表情や声、声のトーンを通して視覚・聴覚に訴えあうことが大事なようです。もっと顔を突き合わせて、おしゃべりをしましょう。スマホの電源を切って。