紳也特急 225号

~今月のテーマ『正しい知識は役に立たない』~

●『真剣な眼差し』
○『女性は土俵に上がらないでください』
●『「性交」や「避妊」という言葉は不適切』
○『資格、経歴は何を教えてくれるのか』
●『知識を活かす関係性』
○『セクハラの基準』
●『性交と性行と性向』

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●『真剣な眼差し』
 ある中学校で講演した際、人工妊娠中絶術を受けたお子さんが真剣に私の話を聞いていました。その子の存在を知ったのはもちろん学校の先生からの情報でした。もっとも、200人を超える生徒さんの中の「この子が」と教えてもらったわけではありません。しかし、その子の動き、目線、等々からこの子だろうなと思いながら、ずっとその子を見ながら、もちろんセックスの経験どころか、言葉にさえも着いて来られない子どもたちの存在も意識しながら講演を組み立てていました。
 講演後、「あの子があんなに真剣に最後まで聞いているとは思わなかった」と言われたのですが、私はその子の真剣な眼差しは、まさしく彼女が発していたSOSだと思いました。私の講演を聞くことで、その子の中で何が変わり、次なるトラブル防止につながるかわかりません。もしかしたら、誰ともつながることなく、どんどん奈落の底に落ち、最後は自死するかもしれません。だからこそ校長先生をはじめ、先生方にアドバイスもさせていただきました。
 養護教諭の先生のところには時々来るようなので、ぜひその子がセックスをしていることについてもっと関心を持ち、「セックスしてどうだった?」、「気持ちよかった?」、「うれしかった?」と言った突っ込みを入れて欲しいと伝えました。「うれしかった」という返事が来たら、「何でうれしかったんだろうね?」とさらに突っ込んでくださいと。
 セックスに関するカウンセリングで難しいのが、どこまでが「まじめな質問」なのか、それとも「スケベ心でのハラスメント」なのかというところです。中高生の女の子だけではなく、それこそ大人の女性からセックスに関する相談が来た時、私はこのような質問をします。もっと突っ込むこともあります。大事なことはそこに信頼関係があるか否かです。
 信頼できる相手に対して自己開示したくなるのが人間です。そして、自己開示をする中で、自己カウンセリングが生まれ、自己矛盾や自分自身の問題点に気づくことができるようです。これがカールロジャーズの言う、「人は話すことで癒される」というプロセスです。人と話している人は、気が付けば自分が欲しい答えにたどり着けることがあります。このような環境こそがSOSを消しあう社会、SOSが、気が付けば消えている世の中です。
 一方で「相談してください」と言いながら、相談した結果、説教、正解、正しい知識の押し付けをする人にはこころを閉ざします。でも、最近の世の中はそのようなことの繰り返しのように思えてなりません。そこで今月のテーマを「正しい知識は役に立たない」としました。

『正しい知識は役に立たない』

○『女性は土俵に上がらないでください』
 京都府舞鶴市で開催されていた大相撲舞鶴場所の土俵上で市長さんが倒れたのを見て複数の女性が土俵に上がったのに対して、行事の方が土俵を降りるようにというアナウンスをしたことが何度も報道されています。しかし、議論の多くは「命よりも土俵が大切か?」といった視点でしたし、最近は「土俵の女人禁制はいかがなものか」という声をマスコミが取り上げ続けています。しかし、私は全く異なる視点で今回のアナウンスをとらえていました。すなわち、行司さんが倒れた人が死ぬかもしれない状況と思わなかったこと、思えなかったことが問題です。「そんなはずはない」と読者の皆さんは思っているのかもしれませんが、「人は経験にしか学べず、経験していないことは他人ごと」です。現代社会の葬儀は家族だけのことが多く、身近で「人が死ぬ」という経験をしていないのです。

●『「性交」や「避妊」という言葉は不適切』
 東京都足立区立の中学校で、学校の先生たちがいろいろ工夫をして性教育をしたところ、都議の人が「学習指導要領」にない言葉を使った指導を不適切と教育委員会に抗議をしたのに対して、性教育を一所懸命やっている人たちがこれまた抗議をしている状況を皆さんはどう思われますか。
 そもそもどれだけの中学生が「性交(せいこう)」や「避妊(ひにん)」という言葉が持つ意味を知っているのでしょうか。「セックス」という言葉も、「コンドーム」という言葉も知らない中学生が増えているのですが、朝日新聞の取材に対して「性教育をすることで『子どもが興味を持ってしまったら危険だ』」との考えを述べた人もいます。教育学の専門家は、「子どもたちの発達段階とともに、育つ環境に合った形で、適切な性教育を丁寧に行っていくことが大切だと思っています。インターネットの発達などで、子どもたちが偏った情報を得ることが容易な現代社会において、本当に必要な性教育のあり方を議論することが重要です。」とおっしゃっていますが、そもそも「教育」って何なのでしょうか。広辞苑には「教え育てること。望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動。」とありました。確かに、教育界のみならず、多くの人たちが目指す最高のところが東京大学理科三類、東大医学部、司法試験の合格ですが、そこもいろいろありますね。

○『資格、経歴は何を教えてくれるのか』
 「灘高、理三、東大医学部、司法試験合格」・「援助交際」
 この方は散々たたかれた末に辞職しました。援助交際、買売春、すなわち金銭のやり取りを伴う性交の提供は売春防止法で禁止されていることは司法試験を受ける際にちゃんとわかっていたはずなのに、なぜこのようなことになったのでしょうか。もしかしたら、買春した側は違法で逮捕されるけど、売春をした人は保護の対象という考えのもとで処罰されないため、援交(売春)する側が自ら警察に通報することがあるということを知らなかったとか?
 「湘南、文一、東大法学部、司法試験合格」・「セクハラ」
 この方はさすがに勉強したことを上手に活用しようと思っておられるのか、「裁判で争う」とおっしゃっていましたが、やはり辞職しました。確かに司法試験に合格した時に「セクハラ」という言葉はなかったのかもしれません。
 皆さんはこのお二人が、なぜこのような状況に追い込まれたと思っていますか。このお二人にどのような「性教育」をすれば「望ましい知識・規範などの学習」ができると思いますか。そんなことを考えることなく、子どもが理三や文一と言わず、そもそも東大に入れば万々歳で、今後の人生は安泰と思っていないでしょうか。その東大医学部の5月祭で偶然にも2018年5月20日(日)13:30~15:00のシンポジウムの中で講演をする機会を得ました。
場所:医学部一号館講堂。そこで話そうと思っているのが「人は経験に学び、経験していないことは他人ごと」です。

●『知識を活かす関係性』
 司法試験合格という人たちがこのようなトラブルを起こしてしまうのは、「おいおい、援交なんかやっていたら知事の首が飛ぶぞ」とか、「『おっぱい触っていい?』はこの関係性だとセクハラを超えた言葉だぞ」といった指摘をする人がいなかったからでしょう。
 そもそも男にはセックスをしたい、性的な関係を相手と持ちたいという本能的欲望があります。それを抑えるのは社会性が育んだ理性です。「英雄色を好む」は広辞苑に「英雄は女色を好む性向がある。女色を好むことの弁護としても用いる。」、「女色」は「女との情事。いろごと。」と書かれています。「性向」は「性質の上での傾向。気質。」とあります。すなわち「男」とは性のトラブルを起こし得る存在だということを、敢えて「弁護」という形で教えてくれています。性のトラブルを回避するためには「正しい知識」を「教育」するだけではなく、いろんな人の「経験」を通して、常に自分自身の危うさを補正し続ける必要性も併せて「教育」する必要があることを、トラブルを起こした人たちが身をもって教えてくれています。

○『セクハラの基準』
 セクハラは人と人の関係性から生まれる感情ですし、そもそも言葉は人と人の関係性を育むためのツール、手段です。だから、人間関係、信頼関係ができている人同士であればセクハラにならない言葉も、それらがない関係性の中ではセクハラになります。今回のセクハラ発言問題ように力関係があり、かつ信頼関係がない中で性的な言葉が発せられたら、セクハラと認定されるのは当たり前のことです。しかし、一線は超えないものの、お互いにどことなく好意を感じつつ、少し性的な表現を使いながら人間関係を構築している人たちも少なからずいます。「そんなの不潔」と思う人は、それを表現し、「私の前でそのような言葉を使ったやり取りはやめてください」と言えばいいだけです。セクハラの基準は一つではないので、「いや」と思ったらそのことを表現し、「いや」と言われたらそのことを素直に受け入れる関係性を、社会を創るしかないのではないでしょうか。逆に言うと、それが言えない社会だとすると、あなたも、私もセクハラの加害者に十分なり得るということです。

●『性交と性行と性向』
 「人のふり見て我がふり直せ」とはよく言ったもので、広辞苑には「他人の性行の善悪を見て、自分の性行を改めよ。」、「性行」は「日常の性質とおこない」とありました。しかし、現代社会を反映するならば「他人の性交の善悪を見て、自分の性交を改めよ。」と教えたいところですが、学習指導要領違反でしょうか(笑)。
 「人のふり見てわがふり直せ」は「人は経験に学び、経験していないことは他人ごと」ということも併せて教えてくれています。ぜひ中学生には「人は他人の性行、経験に学び、経験していないことは他人ごとのままにすると、自分の性向が原因でトラブルになるよ」と教えたいものです。「わか~~んな~~い」と言われそうですが、学習指導要領には違反していません(苦笑)。