紳也特急 252号

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全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『新型コロナウイルスとの共生はおかしい』~
●『2020 AIDS文化フォーラム in 横浜』
○『「共生(ウィズ・コロナ)」は意味のないスローガン』
●『共生のための条件』
○『共生しているのは「誤解」や「差別」と』
●『差別を経験していないから差別をする』
○『できることを積み重ねるだけ』
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●文化フォーラム in 横浜
 2020年8月7日(金)~9日(日)、オンラインではありますが、予定通りの日程で第27回AIDS文化フォーラム in 横浜を開催します。
 https://abf-yokohama.org/
 全体のテーマは「リアルにふれる ~一人ひとり大切なことを探してみよう!~」です。このコロナの時代に一人ひとりにとって何が大切なのでしょうか。ぜひオンラインプログラムにご参加いただき、思いを伝えていただければ幸いです。
 オープニングは「相変わらず感染症に振り回される日本 ~「いいエイズ、悪いエイズ」に学べず「いいコロナ、悪いコロナ」に!?!~」と題してトークを展開します。結局、そうなってしまうのは、HIV/AIDSの歴史だけではなく、多くの人は過去の人たちの経験に学ぶことなく、いま、自分が感じているがままに生きているからではないでしょうか。
 2016年のAIDS文化フォーラム in 横浜のオープニングでも取り上げた津久井やまゆり園事件も、4年が経った今、犯人の植松聖の死刑が確定しましたが、世の中では「障がい者との共生」というスローガンを掲げ続けるだけです。
 そこで今月のテーマを「新型コロナウイルスとの共生はおかしい」としました。

新型コロナウイルスとの共生はおかしい

○「共生(ウィズ・コロナ)」は意味のないスローガン
 津久井やまゆり園の事件のその後を見ても、「共生」という言葉はスローガン、絵空事、他人ごとだということが明らかです。「共生」という言葉を使うことなく、当たり前のように共生している人たちは大勢います。一方で、多くの人が「共生」という言葉を使う背景には、現実には「共生」どころか差別や偏見が暴走し、結果として津久井やまゆり園のような事件を起こしてしまうからです。
 
 人は経験に学び、経験していないことは他人ごと。
 
 この言葉を繰り返し使っていますが、人は自分自身が経験するまでは他人ごとです。新型コロナウイルスも報道で何人が感染した、何人が亡くなられたと聞いても、ほとんどの人にとってやはり他人ごとではないでしょうか。そのような状況の中で「共生(ウィズ・コロナ)」というスローガンを声高に話している人たちを見聞きすると、その人たちこそ新型コロナウイルスを他人ごとと考え、事の本質を深掘りしていないのではと思ってしまいます。

●共生のための条件
 「いやいや、毎日自粛しているし、ソーシャルディスタンスには気を付け、3密を避けるようにしているから決して他人ごとではない」と反論する人もいるでしょう。しかし、そのように行動している人は新型コロナウイルスを正しく理解しているかと言えばそうではなく、ただただ自分が感染しないように、自分なりの理解のもとで対策をしているだけではないでしょうか。
 何を隠そう、私自身、今や自分自身の専門と言ってもいいHIV/AIDSについて「共生」という視点に立てるようになったのはここ10年ぐらいです。本当の「共生」とは、例えばHIVを持っている人が目の前に現れたら、その人も、私自身もHIVを持っていることを特別意識することなくお互いが関われることだと思います。もちろん医者ですのでHIVに関連した医療行為を求められたらそれを当たり前のように提供すればいいだけです。
 新型コロナウイルスだからと言ってこれまでと異なる対応を取るのではなく、不足している知識や情報を整理し、感染する人が周囲にいたら「ついうっかりもあるよね」とか、「そもそも3密やソーシャルディスタンスは感染している人のウイルスがどうやって感染していない人にうつるかをぼかして理解されているのでこの状況では感染する人は減らないよね」といった冷静な対応ができることこそが本当の「共生」ではないでしょうか。

○共生しているのは「誤解」や「差別」と
 科学的な情報が共有されないばかりか、誤解、誤った情報が独り歩きしています。「夜の街」といった差別が当たり前のように受け入れられています。なぜ感染症の分野で誤解や差別、偏見が繰り返されるのでしょうか。
 HIV/AIDSの場合は、実際に感染拡大が起こったのが男性同性間の性的接触だったので、私を筆頭に、ゲイ、男性同性愛に慣れていなかった人たちの間で誤解や差別、偏見が広まりました。しかし、新型コロナウイルスは誰でも感染するので誤解や差別はもっと少ないのかと思いきやそうではありませんでした。考えてみれば誤解や差別、偏見というのはすべて他人ごと意識の人たちがまき散らすことです。世の中の大半が「新型コロナウイルスに感染するかもしれない」という恐怖を感じているという意味では一見自分ごとですが、「感染した自分」はやはり他人ごとなのです。「感染したら周囲の人に言えますか?」と聞けば多くの人は「言えない」と回答するのではないでしょうか。すなわち、誤解や差別は歴然とこの世の中に存在し、われわれは誤解や差別を受容し、誤解や差別と共生しているのです。

●差別を経験していないから差別をする
 ご自身が差別される経験をしたことはありますか。「差別」された経験がないと「差別」がどのようなものかわからないのではないでしょうか。私は小学生の時にアフリカのケニアで「yellow」と言われたりしてきた経験から、欧米の人たちから差別的な目で見られているという経験を繰り返ししてきました。当時は「差別」や「discrimination」という言葉も知りませんでしたが「嫌な気持ち」だけは覚えていました。今思うと、このような経験をしていたからこそ、日本に帰ってから部落問題や父が結核だったことに対する根深い差別に気づかされた時に「何で差別をするんだろう」と思っていました。裏を返せば、差別を経験していないから差別ということをしてしまうのが人間なのかもしれません。

○できることを積み重ねるだけ
 「共生」や「差別の解消」を訴え続ける限り、結局はスローガンを言っている人の自己満足で終わります。新型コロナウイルスは実は共生の相手ではなく、そこにいるだけの存在です。そのことをただただ認識し、できる予防を心掛け、感染したらできることをすればいいだけです。私は新型コロナウイルス関連の事実をただ淡々と伝えることで、聞き手もウイルスを過剰に意識しなくなる雰囲気を作れたらと考えています。
 なぜ手洗いをするのか?それは新型コロナウイルスがいるからだけではなく、いろんな病原体がいる地球の中で自分を守る術だからです。それだけのことですよね。