紳也特急 43号

〜今月のテーマ『障害と性』〜

●『読者からのメール(1)』
○『読者からのメール(2)』
●『読者からのメール(3)』
○『障害と性』
●『障害者が教えてくれること』
○『男は何故オナニーをするのか』
●『障害とセックス』
○『障害と共に生きやすくなる支援』

◆CAIより今月のコラム
「卒業」

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 前回の「性教育バッシングを考える」に多くの反響をいただき、私もいろいろと考えさせられました。自分で独り占めするのはもったいないのでここにその一部を紹介したいと思います。

●『読者からのメール(1)』
 言ってみました「結婚するまでは・・・」という選択肢を子供たちの前で。言うまでは何をもって『結婚』とするのかな・・と思ってみたり婚姻届を出せば結婚?結婚式を挙げれば結婚?婚姻届を出さなくても一緒に生活しているものも結婚?『結婚』という定義も色々ですよね。どうせ色々なんだから、それぞれが思う『結婚』というスタイルを思い浮かべてもらえばいいか・・・と選択肢の一つとして言ってみました。
 いつもは『SEXをしない』という選択肢もあるよ、と言っていました。でも、言ってみると具体的な『もう一つの選択肢』であり、ただ「SEXしない」と言うよりも、子供たちにはイメージしやすいようにも思いました。そして、やっぱり・・・先生うけが良かったです。

○『読者からのメール(2)』
 昨今の性教育バッシングには、私も憤りを感じているひとりです。まともな性教育を受けて来ていれば避けられたかもしれない中絶を体験した身といたしましては、冷静ではいられません。
 「純潔」という言葉に、私はどうしてもジェンダーを感じずにはいられません。それで、先入観を抱いてしまっているのかも知れませんが、どうも純潔教育に賛同する気にはなれません。「結婚するまでセックスしない」というのもひとつの選択ではあると思います。個人的には、結婚なんてだいそれたことをしでかす前に、1回くらいやってみたほうがいいと思っていますが、そういう主義であるなら、尊重したいと思います。「結婚するまでセックスしない」という考えが古臭いととられるようになり、そういう考えの人が奇異な目で見られたり、流されてセックスしたりするのは避けるべきだと思います。そういう意味では、「お互いに結婚するまでセックスしなければ、性感染症の心配はない」の一言は大切なことのように思います。でも、「結婚するまでセックスしてはいけない」となったら話は別です。じゃあ、結婚しない人はどうなるのでしょうか。「純潔を大切に」と騒ぐ人達は、結局「女はさっさと結婚して子を産め。性の喜びは夫に与えてもらうものだ」と言ってるようにしか聞こえないのは、フェミニストの屈折でしょうか。
 仮に、純潔教育が行われ、巧を奏し、十代のセックスが減り、性感染症の蔓延が抑えられ中絶がなくなったとして、それが目指すゴールなのでしょうか。「セックス」への罪悪感が増し、夫婦の性生活は貧しくなり、独身者は変わり者扱いされ、セクシュアルマイノリティーは日蔭の生活を余儀なくされるような世の中が?
 セックスをするもしないも、決めるのは自分しかないですよね。小学生だろうと既婚者だろうと。セックスの結果を想像出来ない場合と、自分が望んでするのではないセックス、相手の同意のないは断固否定したいですが、それ以外は他人が否定する権利はないと思います。

●『読者からのメール(3)』
 「結婚までセックスをしない」のも一つの選択肢のことはJ-AIDSの岩室先生の投稿を読んでから僕も考えていました。多様な価値観のひとつとしてという意見には賛成です。以下は重箱の隅って感じもするかもしれませんが、僕が思ったことをまとめました。
<疑問、問題>
 「結婚までお互いがセックスをしなければHIV感染も心配ないし、望まない妊娠もしないんだよ」というのは「結婚までお互いがセックスをしなくて、結婚後もお互いだけとしかセックスしなければ…」とする必要があるのでは?
 結婚した者同士の妊娠が全て望まれるものとも限らないのでは?結婚という言葉だけが書かれているとそれを無条件で提示したようにもとれ、異性愛至上主義教育という感じがしてしまう。
<解決案>
 結婚の話を出す前に、「この中で、将来は結婚したいなと思ってる人はいるかな」と問いかける。続けて「じゃあその中で、結婚したら子どもが欲しいと思う人は?」と問いかける。その上で、「今の人たちは、結婚までお互いがセックスをしなくて、結婚後もお互いだけとしかセックスしなければHIV感染も心配ないし、相手も子どもを望むなら、望まない妊娠もしないんだよ」と言う。続けて「もちろん、お互いが望む子どもの数までだよ」(若者の中絶は確かに増えてるけど、数だけでいうと既婚者の中絶は若者の中絶の×倍もあるんだよ)と言う。
 なんだか、混乱してきそうですが、、、(苦笑)

 多くのお便りをいただくと自分自身の頭の整理ができます。結婚とセックスについて考えれば考えるほどいろんな価値観が交錯しますが、ちょうどそんな時に障害者が通う施設で「障害児者の性」という話をさせていただく機会がありました。健常者への性教育でさえいろんな意見がある中で、障害を持っている方の性について考えることで本質は何かということが見えるような気がします。そこで今月のテーマは「障害と性」としました。

○『障害と性』

●『障害者が教えてくれること』
 障害は一般に身体障害、知的障害、精神障害に分けられていますが、障害を持っている方の性を画一的に考えることはできません。私は性教育に関わらせていただく一方で、保健所の医者として精神障害を持った方に性の話をしたり、知的障害者、身体障害者ご本人や家族の相談、さらには免疫機能障害であるHIVに感染している人の性について考える機会を多くいただいています。
 先日通勤途中で知的障害と思しき男性が女性に一生懸命声をかけていました。女性はいやそうな顔をしていましたが周りの誰もが知らん振りです。私の所に相談に来ていた障害児の御両親が常々「何か反社会的なことをしたときはちゃんと叱ってくれると本人もわかるんですが・・・」と言われていたのがキッカケで私も心がけられるようになったのですが、「ダメだよ、彼女が嫌がっているでしょ」と少しきつい目を向けたらすぐにちょっかいを出すのをやめました。障害をもっていても、性欲は同じです。これはどの障害でも同じではないでしょうか。ところがそのことが理解できないと、どう対応したら、支援したらいいのかわからなくなったり、変な勘違いを押し付けがちになります。

○『男は何故オナニーをするのか』
 知的障害をもった男性を支えている人たちにとって「オナニーを教えるべきか否か」というのは大きな悩みです。男の性欲は興奮・勃起・射精・満足・おしまいと言いつつも、自分にとってオナニーとは何だったのかを深く考えたことはありませんでした。
 私は保育園の頃からどういうわけか女の子が好きでした(笑)。小学校でも好きな女の子はいましたがセックスということも知らず、ただ何となく近づきたいとか、触りたいといった気持ちはありました。中学生になってはじめてオナニーをしたのも何となくみんながオナニーの話をしていたので興味があってオナニーの方法が書かれているという小さな本を買ってきました。そこに書かれた方法を見よう見まねにやったら本当に気持ちよく射精が起こりました。その時すでにセックスということがどのようなことかを知っていましたが、最初の頃は自分がセックスをしていることを考えながらしたわけではありません。週刊誌等の情報に繰り返し触れるうちに自分自身がセックスをしている場面を想像しながらオナニーをするようになりました。
 では知的障害をもった方にとってオナニーはどのような意味を持つのでしょうか。セックスという行為が理解できなくても、裸の写真集を見ながらその人とのセックスを想像できなくても、何となくむらむらしたり、ペニスを股の間に挟んでいると気持ちがよくなり射精をすることを覚え、射精するとスッキリするのだと思います。実際に知的障害をお持ちの方にオナニーを教えて衝動と上手に付き合っている方もいます。きちんと教えられるといいのですがなかなか難しいんですね。

●『障害とセックス』
 皆さんはどうしてセックスをするのでしょうか。私は「そんなこと聞かれてもわからない」としか答えられません。障害を持っている人も同じです。HIVに感染した人がセックスをすることについて、私は何の疑問を持たないどころか、主治医としてどうサポートすべきかを常に考えています。私に「セックスしている」と聞かれる患者さんは戸惑うでしょうが、少なくとも私はHIVを持っていることでその人がセックスをしなくなることにはつながらないと思っています。
 他の障害も同じではないでしょうか。ただ、一人ひとりにとってセックスをする上での障壁は違うでしょうし、障害によってはセックスの形態も変わってきます。

○『障害と共に生きやすくなる支援』
 障害と共に生きていくには様々な支援と工夫が必要になります。知的障害や精神障害を持っている人がセックスをしたい、結婚をしたいとなったとき、ご本人も周囲も妊娠、出産、育児について悩みます。セックスをしたいが完全な避妊を求めるのであれば泌尿器科医である私にできることは男性側のパイプカットです。精子は精巣(睾丸)で造られ、精巣上体で成熟し、射精の際には前立腺液、精嚢腺液に混じって尿道に放出されます。パイプカットの原理は精巣上体から尿道までの間で精子を運ぶパイプ(精管)を途中で切る(カットする)ことで精子が尿道に到達しなくする手術です。この手術のメリットは精液の大半を占める前立腺液や精嚢腺液には全く影響しないため射精感が損なわずに精子が精液に混じらないようにできることです。女性の卵管を縛る手術と比べ簡単ですし、手術後の避妊(コンドームやピル等)は一切必要ありません。さらに将来やっぱり子どもが欲しいという場合に精管を再度つなぎ合わせることも可能です(もちろん再開通しないこともありますが)。
 このように障害と性について考えてみると、性の奥深さ、画一化することの難しさが見えてくるように思いませんか。

◆CAIより今月のコラム

「卒業」

私がCAIに参加してはや2年が経とうとしている。
大学の2年から参加しはじめた私も、四年間の大学生活を終える時期を迎えた。
私は今後大学院に進学する予定なのであるが、この3月に結婚することにした。

「できちゃったの?」これがまず最初に皆に聞かれる質問だが、そうではなく、私の人生の終わる時まで一緒に歩いて行きたいと思うパートナーが現われての決断である。
子供が出来たわけでもないのに、22歳で結婚するのは早いという人も多いけど、好きな人とずっと一緒にいられるのは幸せな事だし、素敵だなと思う。

それに、CAIに参加して皆にコンドーム使用を呼びかけながら、できちゃった結婚はちょっとまずい。
最近は子供が出来たのを期に結婚を決断するカップルも多い。でも、これってコンドームを付けていないという事になるから、ちょっと複雑。

少子化の時代だから子供が出来るのは嬉しい事。
だけど、望まない妊娠で悲しんでいる人も沢山いるし、コンドームを付けなという事は性感染症の危険と常に隣り合わせという事を意味している。

今後は、既婚者としての立場から、HIV/AIDSやその他の性感染症について、新しい視点で取り組んでいけたら良いなと思っている。

                           I.Y