紳也特急 63号

〜今月のテーマ『青少年の性行動を考える』〜

●『若い人の感性はすごい』
○『青少年の性行動を考える委員会』
●『青少年の性行動についての岩室の考え』
○『いちばんの問題点は何?』
●『「セックスを禁止する条例」の是非は?』
○『今、最も必要な対応策は?』

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●『若い人の感性はすごい』
 『最近、友達の半数はひとりの時間を嫌ってる。孤独感でこころがいっぱいになると言ってた。だからメールをしていないとだめなんだと・・・。人はきっと誰でも孤独を感じる事がある。けれど、温かい心で自分を受け入れてくれる人達が居て、自らも、その心を受け入れたとき、メール依存をなくせると思うんです。ずっと、独りで孤独を持ちつづけると、奥底の見えない何かが穴を埋めようとイケナイモノに手を出してしまう。それは自ら孤独をつくってしまう。心だけじゃなく、体だって、大切にしなきゃいけない。相手と想い合うならば、互いに大切にしてあげなきゃいけない。ワタシはその気持ちを忘れず、これからも友達に伝えていきます。(高一女子)』
 『コンドームを付けるだけで、色々なものが守れるのだから、自分の彼氏になった人には必ず付けてもらいます。もし拒否られたら、その時点で別れます。このくらいのかくごがなければ自分の体や未来がなくなってしまうかもしれないからです。自分の幸せは自分で守る。(高三女子)』
 「岩室先生は自分がやっている講演会がどれだけ役に立っているのかをアンケートで評価されているのでしょうか。もしそうでないとしたら本当に効果が上がっているといえるのでしょうか」といった厳しい質問を受けます。確かにどのような教育が効果的かというのを評価することは大事でしょうし、正確に出来ればそれに越したことはないと思っています。しかし、講演をして、知識が、コンドームの装着率が何パーセント上昇したというだけでいいのでしょうか。この二つの感想文は私の同じ講演会を聞いた高校生たちの感想文でした。これらの感想文を読んだ時に、正直ちょっと嬉しく思いました。自己満足と言われるかもしれませんが、この若者たちが自分の性を考えるきっかけづくりは出来たかと思いました。ちょうど時を同じくして、青少年の性行動を考えるという会に出席する機会を得、大人たちは今の若者のニーズに、若者たちが伝えて欲しいと思っていることに本当に応えているのだろうかということを改めて考える機会を得たので、今月のテーマを「青少年の性行動を考える」としました。

『青少年の性行動を考える』

○『青少年の性行動を考える委員会』
 東京都で「青少年の性行動について考える委員会」が開催され、私も委員の一人として発言させていただいています。そこでは多様な意見が出ていますが、どれもごもっともと思うものばかりです。各位委員の意見についてはネット上の様々なサイトで紹介されていますのでぜひ読んでいただきたいのですが、私自身の考え方も一度きちんとまとめておく必要があるとも思い、私に寄せられたあるマスコミからの取材時の質問と回答(実際には掲載に至らなかったのです)に沿って「青少年の性行動」についての私見をまとめてみました。

●『青少年の性行動についての岩室の考え』
 初体験が早まっている、コンドームを使わないセックスをする人が多い、10代の人工妊娠中絶が増えている、若者の性感染症が増えている、といった事実や指摘がある一方で、セックスをしない高校生も半数以上ですし、コンドームを使っている人が少なくないのも事実です。そもそも人間の行動は知識だけでなく、様々な要因に基づいて決定されることで、何割の若者がセックスをしているから問題という捉え方自体が問題だと思っています。さらに、若者たちが自分がとっている(性)行動についてあまり深くその意味を考えていないことの方が問題ではないでしょうか。
 私のところにはセックスをして妊娠したかもしれない、性感染症になったかもしれないという相談がよく来ますが、相談に乗る一方で、次のような質問を投げかけるようにしています。
「本当にしたいの?」
「どうしてしたいの?」
「しなければどうなるの?」
「したらどうなるの?」
といった単純、かつ本質的なことです。自分で考えて決めているのであれば、結果としてセックスをしていてもしていなくてもいいと思っています。が、ここで「自分で・・・・・と思っています。」という私の発言が一人歩きしないように補足すると、真剣に、何故を追求していけば、若いうちからのセックスというのは選択肢から外れていくと思いませんか。しかし、人との触れ合いに飢えている人の場合、セックスをしないというところまで行かないでしょうが最低限でもコンドームなしのセックスはしなくなると思います。しかし、実際には自分の思いをほとんど考えることなく、結果として何割かの若者は何となくセックスをし、何割かの若者は何となくしていないということの方が一番の問題ではないでしょうか。

○『いちばんの問題点は何?』
 繰り返しになりますが、「する、しない」という結果が問題なのではなく、「したい、したくない」という自分の意思をきちんと確認できないまま生きている若者が多いのが問題だと思っています。人は「知識や情報」だけを伝えても「教育」をいくら充実させても、結局のところ相手とのコミュニケーションの中で「する、しない」ということが決まって行きます。しかし、言語化されたコミュニケーションが少なくなる一方で人と繋がっていたいという思いが強ければセックスという行為に行き着くのは自然の摂理です。学校現場でライフスキルの重要性が叫ばれているように、いろんな人と、いろんな場面でのコミュニケーションの機会を多く持つことで、結果として若者の性行動が変わっていくはずです。
 若者の性行動が表出している事象として問題視されていますが、コミュニケーションスキルがないという本質的に同じ問題が、世間に認められた結婚という形態を確保しているにもかかわらずセックスレスになっている人たちではないでしょうか。一人エッチ(オナニー、マスターベーション)と違って、人とのエッチは自分とその人との世界、雰囲気、ムードをそれなりに作り上げ、コミュニケーションを図りつつ二人の世界を作り上げていくことが出来なければセックスレスになります。でも、世間一般ではこのことはあまり関心をもって取り組まれていません。

●『「セックスを禁止する条例」の是非は?』
 「セックスを禁止する条例」を作ってでも若者の性感染症、望まない妊娠を防ぎたいという思いには敬意を評したいと思っています。そして多様な性に対する考え方があっていいといい続けている立場からも一定の賛意は表したいと思います。しかし、そもそも人の性行動を条例で禁止することが適当なのかという議論をする前に、条例が出来ることの逆効果を強く指摘したいですね。
 「セックスを禁止する条例」ができると絶対後退するのが(小中学校での)
 性教育です。なぜなら、「セックスは条例にもあるようにしてはいけないことになっているので、敢えてセックスについて教える必要もなく、『セックスは禁止』と教えればいい」、あるいは「そもそも禁止されていることなのでそのことに触れるとセックスをしたくなるからセックスについて教えること自体禁止すべし」と条例を口実にあらゆる性教育の阻止を図る人が増えるのが確実です。タバコについての教育が最近まであまり行われなかったのも、若者には禁止されていることであり、大人(教師)には容認されていることを「どうして教育する必要があるのか」という視点があったからです。
 条例の中味の意味を議論する以前の問題として、条例が出来てしまったことで後退する、あるいは条例を作ることで誰かさんが後退させたいと考えていることが何かをきちんと理解して判断する必要があります。

○『今、最も必要な対応策は?』
 「性」という誰もが関心がある、誰もが通過しなければならないテーマをもっと積極的に子どもたちの中のコミュニケーションのテーマに取り上げることです。氾濫する性情報に対抗すべく、学校で、地域で、家庭(これはかなり難しいでしょうが)で性について話をする機会を増やすべきです。ただし、その内容は氾濫する性情報に対抗すべく、「純潔」も、「コンドーム」も、「買売春」や「性被害」も取り上げるべきでしょう。「青少年の性行動」を含め、あらゆるジャンルについて話をし、一人ひとりがどう考えるかを話し合う雰囲気をつくれば、自ずと「自分がどうしたいか」が見え、若者の性行動は変わります。 最近は流行のように、住民参加、パブリックコメント、の重要性が指摘されています。私が取り組んでいる保健計画策定の分野でも、「専門職が行き詰ったら住民の声に耳を傾けると新しい展開が見えてきますよ」と言っていますが、そのことは若者たちの性行動の問題でも言えます。ぜひ、若者の意見も聞いてもらいたいものです。
 前号で紹介したように、ちゃんと子どもと向き合ってコミュニケーションを図っている親もいれば、コンドームをお守りにしている子もいます。若者が感動できる話をすれば、彼ら一人ひとりが今まで生きてきた背景を踏まえて聞いてくれます。当然、コンドームの話を聞いて納得する人も、考える人も、反発する人もいるでしょう。純潔の話も然りです。しかし、大人たちの多様なメッセージが伝わっていないことが一番の問題なはずなのに、どうして人は「一本化」を求めるのでしょうか。それもまた「人間」というものの性(さが)でしょうか。
 今、最も必要な対策は「多様性のあるメッセージの伝達」だと思いませんか。