紳也特急 66号

〜今月のテーマ『手術しないのが過激???』〜

●『メルマガの内容についての読者とのやりとり』
○『包茎を手術しない方が過激』
●『切るべきか切らざるべきか』
○『面倒だから手術しちゃえ』
●『丁寧なフォローのために』
○『包茎なんか診たくない』
●『岩室の方がよっぽど過激』

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●『メルマガの内容についての読者とのやりとり』
読者:私は、ピルユーザーですが、
>ある産婦人科の先生は「ピルも実は・・・中絶薬」

 このような考え方は初めて知り、若干衝撃を覚えました。私は、人間の生命の誕生(人格の発生)は、少なからず受精が始まってからだと思うので、ピル使用が中絶薬という表現には行き過ぎがあるように思いますが・・・。

>だいたい医療関係者は患者さんの選択を「指導」するほど・・・

 患者さんに対して医師が自己決定を求めるというのは、最近主流の考え方ですが、いまだに「先生が一番良いと思うようにしてください」という患者さんは多いと思います。(中絶の件は別としても。)一人の人間に、自律を求めるというのは、考えているよりも複雑で難しい事だといつも思っています。中絶の件に関しても、明らかに命の重みを軽視しているような患者さんがいたら、人間としておもわず説教したくなる事もあるかもしれません。でも、それが間違えているとは、言えないような気がします。
 人間と人間のつながり、社会的コミュニケーションが希薄になっている昨今の世の中において、互いが親身になって語り合い、議論する事が改めて見直されてもいいのではないかとも思っています。医師として、患者さんとどこまで関りあうかというのは、非常に難しい問題でしょうが、患者さんの自己決定の名の下に、失われているものもあるような気がしています。

岩室:
 確かに「自己決定」ということで支援者の役割を放棄している動きが医療関係者の中にあると思います。「支援者」というのを患者さんがすべての決定をした後のフォローをするだけの人という印象を与えてしまったとすれば言葉足らずと反省せざるを得ません。私がイメージしている「支援者」というのは自己決定ができない人や「先生が一番よいと思うようにしてください」という人とは、医療関係者でさえも何がベストかわからない状況の中で一緒に悩み、結果として「納得」できる選択をする役割を担う人だと思っています。自己決定ができない人も大勢いますのが、その人たちも時間と共に情報が入り、後で後悔するということがないように最初から一緒に情報も共有し、一緒に悩みましょうという考えです。ただ、

> 中絶の件に関しても、明らかに命の重みを軽視してい
> るような患者さんがいたら、人間としておもわず説教し
> たくなる事もあるかもしれません。でも、それが間違え
> ているとは、言えないような気がします。

 「命の重みを軽視している」という基準は難しいと思います。男である私は自分が中絶を受けるということがないのですごく無責任な気がしていて、あまりこのことを深く言う資格はないと感じていますが、十代の人工妊娠中絶率が低い地域で「どうして避妊教育に力を入れているのですか」と聞くと、「中絶する時期を逸して、出産し子どもを捨てる親が多いんです」と嘆いていました。そうならなくても虐待死ということも少なくありません。だからそうなるかもしれないので先に中絶していいとも思いません。ただ、修羅場に向き合わざるを得ない人にどうこう言う前に、私はその予防と言う点で何もしない社会こそが無責任だと思えて仕方がありません。当事者を責める前に社会構造にメスを入れたいと思っています。

読者:
>私がイメージしている「支援者」というのは・・・

 なるほど。そうですね。医師だけではなくて、医療従事者全体がそのような「支援者」としての自覚を持って患者さんと接していけば、状況は変わっていくかもしれないですね。

>「命の重みを軽視している」という基準は難しいと思います。

 もちろん、その通りですね。自己決定を求める事と同じくらい、予防を訴えることも難しいと思います。どちらの問題も、各人が適切に判断できるよう導くのは、社会の重要な役割ですね。

 このようにやりとりをさせていただけると私自身勉強になります。皆さんのご意見、感想をお待ちしています。いろんな人と話し合うことの大切さを先日あらためて感じる機会をいただきました。「包茎の手術をしないのが過激」と言われてビックリしたので今回はそのことを報告したいと思います。

『手術しないのが過激???』

○『包茎を手術しない方が過激』
 小児はほぼ全員、勃起していない時は亀頭部まで包皮が覆われている包茎の状態です。その小児の包茎をどう扱うべきかという指針、方向性は未だに日本泌尿器科学会でも日本小児泌尿器科学会でも統一見解が出されていません。先日、すごく誠実な小児泌尿器科の専門の先生と対談をする機会をいただき、あらためてこの話題を泌尿器科関連の雑誌Urology Viewに取り上げてもらうことが出来ました。内容はいずれ掲載されると思いますので省略しますが、その際に「包茎を手術しない方が過激」といった指摘を受け、思わず「そういう考え方もあるのか」と妙に納得している自分がいました。

●『切るべきか切らざるべきか』
 子供の時期に包茎の手術をする医師は未だに少なくありません。私が診療をしている厚木病院には遠方から「手術を勧められたが切らなくていいかの判断をいただきたい」と診察に訪れたり、電話をかけて来られたりする方が後を絶ちません。この原稿を書いている間にも海外から「一ヶ月間の一時帰国時に診察をしてもらいたい。何とか切らないで対処できないでしょうか」という相談が入りました。「切るべきか切らざるべきか」と聞かれればよっぽど炎症を繰り返したりして皮膚が硬くて伸びなくなっているような状態でない限り手術の必要はありません。無理にむくことはありませんが少なくとも手術する必要はないでしょう、と申し上げてきましたし、その考えは今でも変わりません。

○『親の強い希望で手術になる』
 対談をした先生をはじめ多くの小児泌尿器科の先生方は先天性の病気である尿道下裂(オシッコの出口がおちんちんの先に開いていない、時としておちんちんの根元からオシッコが出てしまう病気)や、腎臓から尿管によって膀胱まで運ばれ、正常なら膀胱から腎臓方向に逆流はしないはずの尿が逆流してしまう膀胱尿管逆流症といった手術を必要とする患者さんが手術の順番を待っているため包茎の手術をしている暇もないのが現実のようです。それもそのはずで、私も小児泌尿器科で扱う患者さんを診ていますが、尿道下裂のような特殊な技術や経験を要する手術が必要と判断した場合は必ず専門の先生に紹介し手術をしてもらうようにしています。症例数が少ない病気については、やはり餅は餅屋と医者になった頃から先輩たちに言われ続けてきました。しかし、忙しい小児泌尿器科の先生たちでさえも時として包茎の手術をすることがあるようです。どのような場合に手術をすることが考えられるかという話になった時に「親が手術を強く希望してきた時に、一度は手術がいらないと説明してむき方を教えても手術して欲しいと強く訴えられると手術をしてしまうこともある」ということでした。確かに今の医療現場では丁寧な支援や指導をしている余裕がないという現実があり、親が強く希望すればそれを了承してしまうことは十分考えられます。

●『丁寧なフォローのために』
 いろんな情報を受け手術をするものだと思って受診する親がどうして手術をしたいと思ったのか、その根拠となった情報やその出所はどこなのかを聞き出し、結構面倒な包皮翻転指導を繰り返し教えなければならないことや、その時に子どもが嫌がって泣いたりして親がじれてしまうこと、等々を理解して手術をしない方向性に持っていくのは確かに面倒なことかもしれません。そう考えるといっそうのこと手術してしまったほうがすっきりするのではないでしょうか。岩室のようにしつこく、時間をかけて親に覚えてもらう時間がとれる医者はいないと言われると確かにそうかもしれません。私は一日に40〜70人くらいの患者さんを診ていますが、医者一人だけではフォローしきれるものではありません。包茎の指導の有用性と工夫の数々を熟知している看護師さんが「じゃあ、おかあさんも練習してみましょうね」と声をかけたり、「今日も元気に来たのね」と上手に子供たちを迎えてくれる受付のクラークさんたちのおかげで時間がとりにくい中でスムースな診療が出来ています。

○『包茎なんか診たくない』
 ある泌尿器科の偉い先生に「どうして包茎の議論がちゃんと進まないのでしょうか」と聞いたら「みんな包茎なんか診たくないと思っているんじゃない」と言われ目からウロコでした。診たくないものは受け流す、適当に手術をする、手術適応の議論も盛り上がらない、となるのは当然の結果です。私も厚木市立病院や日本家族計画協会市ヶ谷クリニックの上司やスタッフの皆さんの理解がなければここまで患者さんやそのご家族と向き合うことはなかったと思います。そして昔の自分を振り返ってみると、包茎の患者さんが来た時は「どうして包茎を気にするようになったのか」といったことを聞くこともなく、ただ、「包茎ですね。むけないので手術をしましょう」と患者が受診した背景まで考えないで包茎という状態に対する処置しか考えていなかったと反省させられました。

●『岩室の方がよっぽど過激』
 「受診した患者さんやその家族の希望に沿って了解を得た上で手術をする支援の姿勢と、岩室先生のように積極的に手術をしないという考え方を打ち出してその方向に患者さんを指導するというのを比べると、岩室先生の方がよっぽど過激なんじゃない」という言葉にまたまたビックリしました。確かに少数派は過激に見えるかも知れませんね。
 皆様は、私のような過激な医者をどう思われますか(笑)。