紳也特急 67号

〜今月のテーマ『ストレスと向き合うための性』〜

●『叱られることになれていない』
○『ストレスは不可避』
●『ストレスと向き合って生きる力』
○『家庭に複数台のテレビがいけない?』
●『群れられないから暴走族が減少?』
○『誰にも訪れるストレス』
●『ストレスと向き合える環境整備』
○『感動がある性教育』

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●『叱られることになれていない』
 久しぶりに車を洗っていたら近所の子が近づいてきていろいろ話しかけてきました。小学校一年生だという彼は近くに住んでいて何となくつまらなそうにしているのでいろいろ世間話に花を咲かせていました。ところが慣れてきたのもあってか、その子が車の扉を勝手に開けたり閉めたりするようになり、掃除機のコードを挟むと困るので「勝手に開け閉めしたらダメだよ」と一言、優しい口調で注意したところ、「ごめんなさい」でもなく急にどこかに消えてしまいました。
 いろんな人と接していると自分の思い通りにならないことが多いのですが、思い通りにならないことがあったらそれを避けてしまう、そのストレスから逃げてしまうという人が多くなっていると感じませんか。ストレスから逃げるのではなく、思い通りにならないストレスを乗り越える術を身に着けることこそがいま求められている「生きる力」のようです。人と人との関係性の喪失が様々な問題の根源ではないかと言われる中で、思い通りにならない他人と上手にコミュニケーションをとりながらストレスを乗り越える術を学ぶにはどうすればいいのでしょうか。自分なりにストレスと向き合う経験を通して少しでもストレスと上手に向き合えるようにトレーニングを繰り返すしかないのかもしれませんが、人は得てしてストレスを避けてしまうものです。
 では自然とストレスと向き合わざるを得ない場面はと考えると、一番思い通りにならないのが二次性徴です。放っておいても勝手に向こうからやってきます。その二次性徴と向き合い、それを乗り越えることこそが他の様々なストレスと向き合い、ストレスを乗り越える大きな学習の、訓練の場になっていると思えてなりません。
 ということで今月のテーマを「ストレスと向き合うための性」としました。

『ストレスと向き合うための性』

○『ストレスは不可避』
 人と人との関係性の喪失がなぜ起こっているのでしょうか。人と人が接すればするほど、コミュニケーションをとればとるほどそこには軋轢、摩擦といったストレスが生じてきます。もちろん人と一緒にいることによる癒しや安心感もあるでしょうが、快感より不快感が強くなった時に人はその不快感をいろんな方法で消し去ろうとするでしょう。確かにストレスの原因となる他人との接触を絶てばストレスを回避することは出来ますが、人間として、人と人との間に生きている存在としては上手に人と人の間を生き抜く術を身につける必要性は言うに及ばずです。

●『ストレスと向き合って生きる力』
 しかし、ストレスと言えばすぐにストレス解消法と言われる運動、趣味、瞑想、等々、ストレスをどう発散するかということに注目しがちです。しかし、ストレス解消というのとストレスからの逃避は別物で、溜まったストレスを完全に解消、発散、消し去ることはできません。自分に降りかかったストレスを簡単に忘れ去れるほど人は単純にできているのでしょうか。私はストレス解消を考えるのではなく、むしろストレスをどう受け止め、自分の中で消化し、仕方がないこととして受け入れられるようになることの方が大事ではないかと思っています。すなわち、ストレスと向き合い、それを受け止め、自分の中で消化していく力こそが、生きる力と言われるものではないでしょうか。

○『家庭に複数台のテレビがいけない?』
 テレビが高価だった頃、一家に一台しかないテレビで何を見るかは家族の中で大きな問題でした。どうしても見たい番組を「おじいちゃん優先」と言われれば我慢するしかありませんでした。さらに自分が見たい番組でもエッチなシーンになると大人たちがガチャガチャとチャンネルを替えるというのはよくあったことです。このように一家にテレビが一台という環境は子どもたちに自然とストレスを与え、我慢やルールというのを覚えるチャンスを与えていたのではないでしょうか。

●『群れられないから暴走族が減少?』
 平成17年1月27日の読売新聞に次のような記事が出ていました。
 『昨年1年間に全国の警察が確認した暴走行為の参加人員は延べ9万3438人で一昨年より31%(4万2717人)も減少したことが、警察庁のまとめで分かった。警察庁は、「暴力団の予備軍と化している暴走族が、今の若者気質に合わないのではないか。上下関係の厳しい組織に嫌気を感じ離脱する者も多い」と指摘している。100台以上で暴走する大規模なグループはほとんどなく、1グループ当たりの平均構成員数も、95年の32人から、昨年は18人に落ち込んだ。』
 この記事を読んで暴走族が減ってよかったと思う反面、ここにも人と人との関係性が生むストレスに耐えられない人が増えている証と考えると素直に喜べません。

○『誰にも訪れるストレス』
 大人になればストレスとどう向き合うかということを言語化しながら考えることが出来るかもしれませんが、子どもの時は家族や近所の人たちからいろいろ叱られたり、小言を言われたりする中からストレスとどう向き合うかを体験的な形でトレーニングされてきました。そして、思春期を迎え、自分の体に予期せぬ変化、どうしても受け入れたくない変化が起こっていく中で、いやな状況を受け入れ、その状況と共生するトレーニングが開始されます。
 私の経験を振り返ると、初めて毛(陰毛)が生えた時に覚えた何とも言えない不潔感。精通という言葉も、夢精という現象も知らずに朝目覚めた時にパンツが濡れていた不快感。それを人には言えないための戸惑い。「包茎」という言葉も知らない一方で亀頭部を露出しつつどこまで剥けばいいのか困惑する日々。マスターベーションを繰り返ししたくなる内から湧き出る欲情に対する嫌悪感。東京スポーツをはじめとして、いろんな媒体を通して得る性に関する情報に対する自分の興味とそれを他人に知られたくないという戸惑い。自分の中に生まれる体の変化や性欲を含めた心の変化は否応なしに自分の中にストレスをもたらしていました。

●『ストレスと向き合える環境整備』
 このように二次性徴は子どもだった体とこころを大人の体とこころへと変えるだけではなく、ストレスとそれほど向き合っていなかった子どもに大きなストレスを与え、ストレスと共にどう生きていくかを考えさせてくれるすばらしい時期なのかもしれません。しかし、ストレスマネージメントとかストレスコントロールという言葉があるように、人がストレスと共生するためにはそれなりのサポートが必要です。悩んだときの正確、かつ科学的な情報はもちろんのこと、他人の経験に基づいたアドバイス、他の人も自分と同じように悩んだんだという共感、銭湯のような所で自分の体の変化と大勢の人の体の状況と比較する環境、といったものがあれば自分なりに方向性を見出していくことが出来るでしょう。ストレスから逃げるのではなく、ストレスと向き合い、自分なりにストレスを乗り越えていくための情報と環境整備こそが急務です。

○『感動がある性教育』
 性教育も単なる情報や知識の提供をして、○○の理解度が、コンドームの使用率が何パーセント上がったということだけで評価するのではなく、性教育をしてくれた人も、性教育の中で紹介された人たちも自分たちと同じように悩み、苦しみ、そして何とか性の諸問題を乗り越えてきたんだなということを感じられる、共感できる内容であることが求められています。大人の一方的なスローガンや知識の押し売りだけの性教育は子どもたちの中に入ってきませんが、人の生き様を紹介する性教育には心に響く感動があります。そしてその感動の中から子どもたちは自分の中に芽生えたストレスと向き合えるヒントを発見することでしょう。