紳也特急 77号

〜今月のテーマ『ストレス社会を取り戻そう』〜

●『お金を払っているんだから』
○『相談にみるストレス弱者たち』
●『出会いは必然』
○『評価はストレス弱者づくり?』
●『ストレス社会の再来を』

———————————————————————
●『お金を払っているんだから』
 電車の中での親子の会話
 子:スポーツクラブの泊まりのスキーの時、夜おしっこをしたくなったら一人で行かないといけないの。
 母:引率のお兄さんにお願いすればいいじゃない。
 子:ついていってくれるかな。
 母:当たり前でしょ。お金払っているんだから。
 どこか変だと思いませんか。思い出すのが新聞でも話題になっていた「親が給食費を払っているのに、学校の給食時に『いただきます』『ごちそうさま』と言わせるのはおかしい」という意見です。やはりどこか変です。確かにお金で解決することも多く、私もお金のありがた味を感じていますが、どっちも変ですよね。このような感覚がどうして育つのでしょうか。原因はいろいろあるでしょうが、このような感覚の人は私のようなうるさ型の友人はいないのでしょうね。よく類友といいますが、同じような考えの人しか友達にしないのは少しでも自分の意に反することを言う人を自然と遠ざけてしまうためでしょう。ただ、自分の意に沿うような人だけと付き合っていると、結果的にはストレスに弱い人、切れる人、閉じこもる人になってしまいます。人にはある程度ストレスが必要だという思いから、今年最初のテーマを「ストレス社会を取り戻そう」としました。

『ストレス社会を取り戻そう』

○『相談にみるストレス弱者たち』
 最近、紳也’s HPのi-mode版からの相談が増えたのですが、そこから来る相談の特徴は「他人からの解答」だけを求めていて「自分で考える」ことを放棄している人が多いことです。でもこれは世間一般でも同じではないでしょうか。迷うとその迷いに対する解答を求めてインターネットや携帯サイトにアクセスするんでしょうが、「最後に決めるのはあなたですよ」という風に持っていくと「冷たい」という反応になります。先を、結果を考えないで行動し、不安になり、誰かに相談し、何とかしてもらう。その時に自分がお金でも払っていようものなら強気に出る。他人にしてもらうことだけを考え、自分から何かをするという発想がない。確かに自分で考え、自分で選択し、自分で行動し、結果に責任をもつことは結構なストレスとなります。誰かが決めてくれた方が楽だという育ち方をしてくると、ついついその楽な生き方を選択してしまうのでしょうね。

●『出会いは必然』
 お子さんが性同一性障害ではないかと悩んでいるので情報をもっていませんかという相談を受けました。私は文献や本を読んだ程度で、詳しいことはわからなかったのでそのように返事をさせていただきました。ただ、個人的には「包茎」で悩んで泌尿器科を受診する人の中にかなりの数のこころの病が背景にあるように、いろんなストレスや悩みを抱えている人が「性同一性障害」という診断に逃げ込む場合もあるのではないかと思っていました。そんなことを考えていたら、熊本で開催された日本エイズ学会後のぷれいす東京の飲み会で必然とも思えるすばらしい出会いをいただきました。中村美亜さんという性同一性障害の方でした。思わず私が感じていた「診断に逃げ込む人がいるのではないか」という疑問をぶつけたところ、「そういう場合もあるんじゃないですか」という返事をいただき、中村さんの著書「心に性別はあるのか?」(医療文化社)を読んで、セクシュアリティやジェンダーを少し違った目で見られるようになった気がします。いろんな人との出会いをストレスではなく、自分が生きる糧にしたいですね。本当に熊本での出会いに感謝です。

○『評価はストレス弱者づくり?』
 話は少し飛びますが、最近、各方面で「評価」ということを叫んでいる人が多くないでしょうか。「Evidenceに基づくエイズ教育」と聞くと一見すばらしいようですが、本当に一言言っただけで行動を変えるような人たちを作っていいのでしょうか。本来(というか、昔の)人間は行動を変えられるようになるまでに相当な時間とストレスを繰り返していなかったでしょうか。
 反省を込めて自己分析をしてみると、私がどんどん増える体重に歯止めをかけられなかったのも、少しお金があるから太ってもワンサイズ上の服をすぐに買えたからです。自分の体型が気に入らないと、その事実を無視するようにしていたのは何を隠そう私自身です。その私にやせる気を起こさせ、10キロのダイエット(後5キロはやせる予定)に導いてくれたのが「先生、顔変わりました?(はっきり言って醜くなりましたというニュアンスでした)」という何とも言えないきつい一言でした。でもそのようなストレスに切れることなく、逆にやる気に変えられたのは、ストレスに少しは強いところがあるからだと思います。しかし、ストレスに弱い人は、我慢が出来ず、気に入ったものがすぐ手に入るお金に執着し、もっとも大事な小言を言ってくれる友達を排除していないでしょうか。安易な評価を求めることは、すぐに結果を出したい現代人をますますストレスに弱くしてしまう、ストレス弱者づくりに加担しているように思えてきました。

●『ストレス社会の再来を』
 受験戦争を解消して、一人一人が自分にあった生き方を選択できるストレスの少ない社会づくりを目指してきた結果、思いとは裏腹に、人に学べない、自分で考えられないストレス弱者を数多く育ててきたようです。大家族だと世代間の価値観も異なるし、好みも、ライフスタイルも異なるからと核家族化が進み、ストレスにまみれる環境がなくなりました。関係性の喪失はストレス回避の結果です。
 ストレス社会、すなわち関係性を再構築した社会は人づくりをする上で不可欠なもののようです。その意味でも性教育も「純潔」を叫んでいる人もいれば
「コンドーム」を叫んでいる人もいる。「生きる力」にこだわる人もいる。いろんな人に関われば若者たちにとって「自分で考え、自分で選択し、自分で行動し、結果に責任をもつ」ことが当たり前となり、悩んだときにも、いろんな人が周りにいるので適切な情報をもらえるようになるのではないでしょうか。そんな社会に早くしたいものです。
 今年もよろしくお願いします。