紳也特急 80号

〜今月のテーマ『仏教に学ぶ』〜

●『セックスをしなくなった若者たち』
○『性教育バッシング対策と仏教』
●『失敗回避症候群』
○『背中を押す』
●『合う人もいれば』
○『他者にお願いも』

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●『セックスをしなくなった若者たち』
 先日、ある高校の養護教諭の方が「数年前までは保健室で性の話題で盛り上がる子が多い一方で、望まない妊娠も年間で何人もいました。でも、最近はオタクな話題はあっても性の話題が少なく、望まない妊娠もなくなってきたんです。どう考えればいいのでしょうか」と質問されました。
 このような現象は今後増えていくんでしょうね。「オタク」と聞くと、凝った専門的な趣味と受け取る人がいるかもしれませんが、視点を変えると、人とつながれないけれど、物や趣味とつながることで満足する、人とのコミュニケーションを取らない、取れない人とも言えます。もちろん人とのコミュニケーションがとれなければパートナーもできず、セックスもできないでしょうから、望まない妊娠も減るわけです。日本の少子化問題を真剣に考えるのであれば、ぜひコミュニケーションスキルの問題を取り上げてもらいたいものです。
 このように講演に行くと、こちらが一方的に情報提供をするだけではなく、参加された方から多くの示唆をいただけます。そしてそのネタ(失礼)がまた私の講演を磨いてくれます。先日、岩室紳也の講演姿勢を仏教の教えと対比された方がおられ、私自身、すごく心に響くものがあったので今回のテーマは「仏教に学ぶ」としました。

『仏教に学ぶ』

○『性教育バッシング対策と仏教』
 「性教育バッシングをどう考えるか」というテーマで講演させていただいた際に、HIV/AIDS関連のボランティアをされている僧侶の方からコメントをいただきましたのでその概略を紹介させていただきます。
 『仏教の論理をご存じないとしても、お話の内容、御姿勢はお釈迦さまの教えに合致するものです。お釈迦さまの教えの根本は、まさに今日の先生のお話の通りだと思います。私は浄土真宗の僧侶で、宗祖は親鸞です。親鸞は、「修行してもしても立派にはならない私」を問題視し、その私をそのまま救わずにはおれないという願いを持つ阿弥陀仏の教え、念仏の教えに出会いそれを実践しました。親鸞は僧でもなく、俗でもない生活を送り、妻を持ち、子供をもうけ、家庭の悩み、生身の人間の悩みの中で仏教を実践した人です。ご講演の通り、人はいつ、痴漢や援助交際で捕まるかわからない存在です。つい、カッとなって人を殺すこともあるでしょう。そういう立場を認められるからこそ仏教です。世界宗教の中で、「否定」をしないのは仏教、神道だけで、且つ、その中でも、教義の時点で、生身の生活をまるごと肯定して受け入れるのは真宗系だけですので、我々はもっと性教育を含む生教育に関わりを持つべきで、それが可能な立場にあると再認識しました。今日の、バッシングに対する姿勢、伝える際の姿勢についても、本来は私の本業たる仏法そのものの姿勢でした。』
 まずはありがたい言葉に合掌。
 どちらかというと宗教に無関心だった私ですが、性教育バッシングの背景にある政治的な背景も、純潔を究極の目標にされる方々の存在も否定されるものではなく、むしろいかに共存できるかを認め合うところから考えたいという私の姿勢が、仏教の基本的な姿勢に合致すると言われ安心したというのが本音です。性を多様なものととらえるのか、それともこうあるべきものととらえるのかを人と人が論争すると、あまりにも大きな背景を背負っての議論となり、残念ながら喧嘩で終わってしまう可能性が大です。しかし、宗教的な視点で考えるとより広い範囲の方々とともに考えていただけると思いました。もっとも喧嘩ばかりしている宗教もあるようですが(苦笑)。

●『失敗回避症候群』
 『自分自身に不安があったり、自信がなかったり、人より劣っているのではないかという気持ちもありました。岩室先生のお話を聞いて、なんだか安心しました。人間だからこそ、不安や劣等感があるのだと。私という人間を大切にし、多くの人と共に成長していきたいと思いました。』
 若者たちが自信がないから積極的になれない。失敗をしたくない、ふられたくないから恋愛もしない。みんな平等なんていうことはあり得ない幻想ですし、競争という辛い現実があるからこそ、別の競争の中で自信が持てることに人は気付けるのだと思います。しかし、競争をさせない社会を創ってきた結果、競争の結果の敗北と共に、別の競争の中での達成感の両方を経験していない人はそもそも競争を避ける「失敗回避症候群」という心の病になってしまうようです。

○『背中を押す』
 『コミュニケーションの大切さは良く分かっていますが、スキな人だからこそ、大切にしたくて、傷つけたくなくて、なかなか言い出せないこともあります。男の人を信じられないトラウマがあって、正直になれなかったりしています。コミュニケーションって本当に難しい。でも大切なことだから、本気でヒトに向かっていきたいです。「愛しているからこそ、無関心ではなく、向き合っていくんですよね!きっと」』
 コミュニケーションの大切さはわかっていても、今一歩踏み出せない。そんな人が多くないでしょうか。何を隠そう、私もこのような仕事をしていなければ、同じマンションの子どもに声をかけることもしなかったでしょうし、多くの方との接点を持っていなければダイエットに取り組もうと思わなかったはずです。「愛しているから向き合っていく」というのはマザーテレサ発、原田久先生経由、岩室経由、この方着のメッセージになったのですね。やはり多くの人がつながっていることで背中を押してもらえることができることの再確認ができました。

●『合う人もいれば』
 『先生の話は真っ直ぐで、とても年齢の差があるとは思えませんでした。「素直が一番。お互いに!」』
 『なんか集中していなくてもやけに耳に入ってきたから変な気分だった。話しと自分が合ってた気がする。ためになる話しだと思った。』
 よく、講演会の評価として、「よかった」とか「面白くなかった」といったアンケートが行われます。しかし、こと性教育に関する評価では知識の確認としての評価も大事ですが、その一方で、価値観や感性の一致、不一致が問題になります。上記の感想を下さった方々のように私の話がフィットする人もいらっしゃるでしょうが、フィットしなかった人が必ずしも否定的な感想を書くとは限りません。アンケートに「よかった」と答えつつ、「知識は増えて役に立ったけど、あそこまでセックスとかコンドームという言葉を出して欲しくなかった」と思っているかもしれません。ここに多様な人が多様な性を語る必要性があります。

○『他者にお願いも』
 『初めて自分自身を考える講演でした。高校時代の自分を振り返ると、「嫌われたくない」と性行為をしていた自分が想い出されました。周囲から性についての相談を持ちかけられることが増えてきました。今までは、それに対して教育的に答えていたと思いますが、これからは自分の体験を交えて楽しく性について話が出来ればと思っています』
 自分を語ることの難しさは、逆に自分の思いを伝えることの、そして相手の心に響くことの難しさでもあります。しかし、自分を語ることができるようになると、人の心の扉をたたくことができます。私には「嫌われたくないから性行為をする」という実体験がありませんので、そのようなメッセージで人の心の扉をたたくことはできません。このように語ってくださる方がまた一人増えたことをうれしく思いました。
 宗教が長く人の心の中にとどまり続けてきたことにまた学びたくなりました。やはり人と人とのつながりはいいですね。