紳也特急 85号

〜今月のテーマ『無責任の連鎖』〜

●『目的と建て前』
○『飲酒運転の責任は』
●『責任をとるということ』
○『人で作動するチェック機構』
●『健康づくりでの無責任』
○『性教育での無責任』

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●『目的と建て前』
 この夏、プールで女の子が亡くなった事件は本当に痛ましい。文部科学省の通知が伝わっていない。ボルトではなく針金で留めていた。バイトが対応していた。安全講習会を受けていなかった。そもそも入札資格はなかった。等々、原因を次から次へと挙げていますが、そもそもプールの安全管理ということを民間の業者が十分意識していたでしょうか。その業者をかばう気は毛頭ありませんが、いま、役所を中心とした「官から民へ」の動きをもう少し検証する視点を持ってもらいたいと思います。
 役所は管理業務を委託することが目的。業者は管理業務を受注することで、できるだけ利益を得ることが目的。どちらも、本来もっとも大事にしなければならない視点である「安全」ということを忘れてはいないでしょうか。もちろん「建て前」として「安全最優先」というのはありますが、セイフティープロモーションやセーフコミュニティの考え方からすれば、十分なコミュニケーションがない契約環境の中で、施設の運営と、安全管理業務を別々の組織が担当している姿勢に問題があります。
 いま、国が進めている「民間で出来るところは民間で」というのはその通りだと思います。しかし、業務を委託されれば、その業務をどうこなすかという視点にしか目は行きません。本来の目的は忘れ去られてしまいます。もしこれが完全な民営プールであれば、倒産です。倒産するかもしれないという事実を背負っていれば、倒産しないために安全確保には必死になります。マスコミはどうしてその辺りを報道しないのでしょう。
 今回のプールの事故の詳細を聞けば聞くほど、無責任の連鎖を感じてしまいます。そこで今月のテーマは「無責任の連鎖」としました。

『無責任の連鎖』

○『飲酒運転の責任は』
 福岡市の職員が飲酒運転で3人のお子さんを死なせてしまいました。新聞報道によると『福岡市の中元弘利・副市長が26日会見し、「亡くなられた3人のお子さん、ご家族に心よりおわび申し上げます」と陳謝した』、『山崎市長は「3人のことを忘れず、誠心誠意できることを行い、償いをさせていただきたい」と厳しい表情で答えた』とのことです。いつもながらどこか変です。市役所職員の時間外の日常生活の中での飲酒運転というのを予防するために、福岡市はどのような指導をすればよかったのでしょうか。記者も、デスクも、読者も本当に職員教育で予防できたはずだと思っているのでしょうか。では、市役所は出来なかったけどさかのぼれば学校教育が悪かったとでも言いたいのでしょうか。家庭のしつけがなっていなかったのでしょうか。そのように責任をどこかに押し付けることでいずれまた起こるであろう次の事故を予防できるはずもありません。
 『福岡市が23日、全職員に飲酒運転をしないよう電子メールで指導したばかりだったことが26日、分かった。今林容疑者は事故直前までスナックで焼酎を飲んでおり、指導は無視された格好だ』との報道をした記者に、「メール一本で飲酒運転が撲滅できるはずもありません。あなたの会社ではメールでの指導で、全ての記者の反社会的事件が予防できるんですか。あなたはこの記事からどうすれば『無視されない指導ができる』と考えてこの記事を書かれたのですか」と聞きたいですね。記事を書いている記者にも記事に対する責任感が欠けています。どうせ書くなら『福岡市が23日、全職員に飲酒運転をしないよう電子メールで指導したばかりだったことが26日、分かった。しかし、電子メールでの指導を含めて職場での指導には限界があり、国民一人一人が飲酒運転を他人事だと思わないで、いま、何をすべきかを考えることが求められている。市が社会的に責任を取るとすれば、直ちに懲戒免職にする以外に手立てはない』だと思います。

●『責任をとるということ』
 責任が取れないことに対して謝罪すること、責任が取れないことをあたかも責任を取るべきだと報道することは、結局のところ「無責任」と言わざるを得ません。市長が「職員がこのような事件を起こしたことはまことに残念です。懲戒免職は当然です」としか言いようがありません。確かに公務員というのは税金で雇われている以上、国民の厳しい目にさらされるのは仕方がないのですが、日常生活で誰もがやってはいけない飲酒運転や反社会的な行為をした場合、その責任が所属する公的機関にあるともし国民がみんな思っているのであれば、これは恐ろしい勘違いが起こっているだけではなく、そもそも危機管理が出来ない状況になっていると言わざるを得ないですね。

○『人で作動するチェック機構』
 日本の製造業のリーダー格であるトヨタ自動車でリコールが繰り返される原因は、結局のところ「人」によるチェック機能が働かなくなった結果であるという記事がありました。いくらコンピューターで設計しても、経験者を含め、一人でも多くの人が一つ一つの部品をチェックしていかないと、トラブルの原因を予測できないようです。機械化や分業が進めば進むほど、人と人との関係性が希薄化し、関係性の中で補われていた問題解決能力、問題防止能力が失われていくのだということを再確認させられました。

●『健康づくりでの無責任』
 プールに関わる人たちがつながらない中で安全が守られなかったように、今度は同じような「無責任」が地域保健の現場で起こりそうです。国は「健康づくりの民間委託」をどんどん推し進めようとしています。もちろん健診やその後の指導は民間でも出来ます。しかし、最近は「健康」という概念も幅広いものとして考え、「安心」や「安全」を含めた「生活の質の向上」を念頭に置いた取組みが必要だということは常識になっています。生活習慣病の予防も、プール事故の防止も、飲酒運転の撲滅も、結局のところ何が正しいではなく、より多くの人たちのつながりの中で何重にもプレッシャーがかかることで、改善に向けた動きが出来たり、歯止めが利いたり、ということが可能となります。
 しかし、厚生労働省は医療費が増え続けているから、それを下げるために保健指導をより徹底しようと平成20年度から保険組合が健診や指導を徹底することになりました。健診やその後の指導だけで健康を確保できる人はどれだけいるのでしょうか。民間の業者さんは健診を行なうときにどのようなサービスを考えるでしょうか。健診受診者が満足する、短時間で少しでも多くの検査を快適に受け、終わった後にヘルシーメニューを体験し、かつ異常なしの通知をもらうことでしょうから、そのような工夫は一生懸命するでしょう。でも、そのような健診をどんなに増やしても健康な人はそうは増えないでしょう。さらに困ったことに、このようなことが進めば保健師さんや栄養士さんたちが行なっているヘルスプロモーション、地域のネットワークの中での健康づくりはどこに消え去ってしまいます。「それは都道府県の役割」と言っている人もいますが、そんな切り売りされたパーツの部分だけを一生懸命磨く人はいませんよね。しかも安部政権では道州制が導入されるとか。
 でも、この構造改革を批判的、懐疑的な目で見ている人こそ「無責任」なのかもしれません。7月10日に発表された「医療構造改革の目指すもの」をちゃんと読み込むと、市町村の役割として「健康づくりの普及啓発(ポピュレーションアプローチ)」と書かれています。それを発表した辻哲夫さんは厚生労働省のトップの事務次官になったわけですので、現場はちゃんとヘルスプロモーションを頑張りなさいとエールを送られていると受け止めたいですね。

○『性教育での無責任』
 8月に大阪で思春期学会が開催されました。「過激な性教育」を批判したことで有名な山谷えり子参議院議員も来られていましたし、発表もいろいろありました。しかし、何となく元気が出ない。しらけた雰囲気になってしまうのはどうしてかと考えてみました。私も歳をとったので学会の理事になったり、委員会に属したり、と学会内外の活動や情報がいろいろと入るのですが、そこに渦巻く「無責任」、と言ったら怒られるのでしょうが、私がしらけてしまう原因が見えたように思います。
 実践を伴わない、データだけの議論や評論が多く、実践に伴うノウハウの学びがほとんどないのです。高校生への性教育では遅いから中学生にしてみたらそれも遅いので小学生での取組みが必要。親の理解が必要だが、アプローチしなければならない親は講演会には来ない。一回の講演では残らないから他の方法を模索すべき。そんな話を聞きながら、多角的な取組みをされている人たちと、「自分の方法論の未熟さを棚に上げて」、「そんなことは百も承知だけど地道にいろんな人と機関をつないでいくしかないですよね」、と悲しい思いになりました。
 でも、人を認め、人を褒め、人に学ぶことを一番苦手にしているのが現代人です。性教育の世界も前途多難?