紳也特急 94号

〜今月のテーマ『正解がないという正解』〜

●『女子高生とのセックス』
○『なぜ』
●『赤ちゃんってかわいい?』
○『正解はわかっています』
●『カウンセリングって何?』
○『カウンセリングに学ぶ』
●『つながることがステキ』

…………………………………………………………………………………………

●『女子高生とのセックス』
 17歳の女子高生とセックスをした妻子のいる男性が、愛知県青少年保護育成条例(淫行の禁止)違反の罪に問われていた裁判で無罪になりました。その裁判の争点が「女子高生とのセックス」が「淫行」なのか「純愛」なのかということだったようですが、裁判長は「時代に応じて『社会通念』を基準にして判断すべき」として無罪と判断したようです。
 青少年保護育成条例が合憲なのかを争った1985年の最高裁判所の判決というのもありました。
**************************
要旨:一 一八歳未満の青少年に対する「淫行」を禁止処罰する福岡県青少年保護育成条例一〇条一項、一六条一項の規定は、憲法三一条に違反しない。
二 福岡県青少年保護育成条例一〇条一項の規定にいう「淫行」とは、青少年を誘惑し、威迫し、欺罔し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められないような性交又は性交類似行為をいうものと解すべきである。
**************************
 「淫行」をどう規定するかも、そもそも「淫行」という言葉が2007年の社会通念を基準に判断した場合、存在することなのか。「淫行」をどう考えるべきかを裁判所が決めるべきことなのか。いろんな思いが頭の中を駆け巡りますが、果たして「正解」はあるのでしょうか。実は「正解がないという正解」を教えてくれた人がいましたので、それを今月のテーマとしました。

『正解がないという正解』

○『なぜ』
 次々と起こる殺人事件。自殺。終わらない戦争の数々。人は殺してはいけない。政府も「命を大切に」と声高に言っていても大臣が自殺。戦争放棄をうたっている憲法もある。でも戦争は各地で続く。日本も後方支援をしている。さらに医師不足で全国の病院はどこも困っている。私の友人が相次いで「院長」になったものの、以前だったら「おめでとう」とこころから言っていたのが、いまでは「ご苦労様」だし、それぞれの第一声は「どこかに医者いない」です。私が泌尿器科やHIV/AIDSの診療をしている厚木市立病院も産婦人科が閉鎖に。当然HIVに感染している妊婦さんの出産は他にお願いしなければならないことになるのでしょうね。でも、なぜ。正解は、解決策はあるの?

●『赤ちゃんってかわいい?』
 おちんちん外来をやっていると、生後間もない、それこそおっぱいを飲んで、うんちとおしっこをして、泣いて、時に笑うだけの赤ちゃんが大勢来ます。その外来で最近気づかされたのが、以前よりお母さんに「赤ちゃんは、子どもはかわいいよね」というメッセージを送っている私の姿でした。 「赤ちゃんってかわいいですか?」って聞かれたらどう答えますか。私は聞かれる前から自分が赤ちゃんをかわいいと思い、その子と、目で、声で、時には彼のおちんちんを使いながらコミュニケーションを図っている姿をお母さんたちに見せています。そしてわざとらしく、こんな子を赤ちゃんポストに捨てるなんてね。でも、いやになることもあるよね。その時はうちで引き取るから連れておいで、と、半分冗談、半分本気(お説教)で言っています。赤ちゃんポストの是非を言う前に「あなた方がしている育児支援は」、「あなたがしている性教育は」とつい言いたくなります。でも、育児支援って泌尿器科医の仕事でしたっけ?

○『正解はわかっています』
 お酒を飲みすぎました。運動なんかしません。おいしいものをいっぱい食べました。糖尿病になりました。先生、どうしたらいいでしょう。
 セックスをしました。コンドームを使えば感染しないことはわかっていました。でもコンドームは使いませんでした。そしてHIVに感染しました。先生どうしたらいいでしょう。
 答えは、正解はわかっています。食事制限をしましょう。お酒をやめましょう。適度な運動をしましょう。コンドームをつけましょう。検査を受けましょう。誰でもわかる正解。わかっちゃいるけれどできない。正解がある問題だけれど、本人が飲み込めない。こんな時、どうすればいいのでしょうか。

●『カウンセリングって何?』
 誰でもわかる正解だけどできない。正解がある問題だけれど、本人が飲み込めない。答えのない問題の答えは本人の中のどこかにある。答えを一緒に探してくれる、一緒に考えてくれる、誰かにいてほしい。でもするのは自分だから、自己決定を中心に置く「カウンセリング」が求められている!
 先日、エイズ対策を振り返る座談会(医学書院:公衆衛生連載中「エイズ対策を評価する」)で、そもそもなぜHIV/AIDSでカウンセリングということが出てきたのかという話を聞かせていただきガッテンでした。何がガッテンかというとHIV/AIDSとカウンセリングとの関係ではなく、アメリカでカウンセリングが浸透している背景を知ってやっと私自身、どのような人が、どのような社会がカウンセリングを求めていたのかがすっきりしました。
 アメリカ社会は家族や地域のつながりは昔の日本と比べれば希薄で、自分の身は自分で守る銃社会を受け入れています。しかし、人は生きていく上で、「誰でもわかる正解だけどできない。正解がある問題だけれど、本人が飲み込めない。・・・・・」と言った時にお金を払ってでも、その正解に、自己決定に一歩でも近づくためにカウンセリングという手法に、カウンセラーという職種に対価を払っています。実は医療の中で自分が望む答えが出ないことはしばしばあります。しかし、医療技術提供者としての医者はそのことに無力です。HIV/AIDSが日本に上陸し、薬さえもなかった時、医療技術だけで患者さんたちを支えられないとわかった先達はカウンセラー、カウンセリングに手伝ってもらうという方向に行くしかありませんでした。古くは精神科領域で、そして近年はターミナルケアの領域でもカウンセリングが支援の当たり前の手段になってきています。しかし、日本にはまだカウンセリングにお金を出すというのは社会通念として(?)浸透していません。

○『カウンセリングに学ぶ』
 しかし、よ〜く考えてみると、皆さんの周りに、私の周りにカウンセリングはあふれていますよね。答えのない話題を繰り返し話し合っていく中で、「しょうがないね」と受容できるのも実は多くの人とのおしゃべり、カウンセリングのおかげでした。自己決定というほどのことではなかったのですが、結果的受容、あきらめ、といったことをいろんなつながりの中から受け入れてきたのが昔の日本だったのかもしれません。人と人とのつながりが希薄な人には、地域ではカウンセリングが求められているようですが、実は今の日本こそがカウンセリングを受け入れないといけないようです。
 こう話すと、「だからスクールカウンセラーを入れている」と言う方もいるでしょうが、アメリカではカウンセラーと話せるよう自己主張の訓練、ディベートを小さい時からさせています。でも、最近日本に増えている、自分の思いを語れない、「別に」しか言えない人たちは、実はカウンセリングにさえならないというのを私自身、何度も経験しています。
 ディベートというのもいうなれば井戸端会議のようなものかもしれません。どんなとんでもない意見を言ってもそこで切り捨てるのではなく、それなりに受け入れておしゃべりを継続するスキルです。そう、井戸端会議は素晴らしいカウンセリングの場だったのです。ネット上のチャットもそうですね。私がかかわらせていただいている携帯サイトもそのような役割があるようで、その中で私は時々「雷親父」を演じています。

●『つながることがステキ』
 先日、同じ高級長屋(マンションをこう呼んでいます)に住んでいる酒飲み友達のお嬢さんが結婚するからと夫婦で結婚式に招待されました。一緒にお酒を飲んでいると時間がたつのも忘れるくらいおしゃべりに夢中になる関係は、仕事も違い、家庭環境も違うからこそ楽しいのかもしれません。何より素敵なご家族なので、娘さんの結婚式をわが子のことのように楽しみにして、「もちろん喜んで」と末席のつもりで行ったところ、何と夫婦で主賓席に座らされた上、お嫁さん側の主賓として挨拶をすることに。仲人さんを立てない結婚式は当たり前になりましたが、これからは近所のつながっている人が挨拶をする時代になるのかも。でも、家族ぐるみで付き合い、結婚式にも呼ばれる、そんな環境で次の世代が育つのも悪くないと思いませんか。そんなことを考えながら私のあいさつは「人とつながる結婚ってステキだよ」でした。本当にそう思います。もっと、もっといろんな人とつながっていたいものです。次に呼んでもらえる近所の結婚式は・・・・・・と期待しつつ。